京都青年赤十字奉仕団 OB 同窓会 の酒宴席の???と欲心

毎年、誰となく幹事が決まり、あの、ハツラツ青年若者の時を思い出し、”やーやーげんきー!!”で、又の友情を温めるという事ではあるが、年齢層の幅が昭和32年ものから昭和50年度とあるので、最近となると、高齢の層は、何故か?暇なのか毎年の出席率が高い。反対に一度の出席をした50年度近しい人の出席が、無くなっている。今年は、”宇治川旅館”と言う京阪宇治駅から橋を渡った所での場所である。会費は¥8,000.-で、椅子に座っての宴席である。元日赤職員S  と大阪日赤職員I も、OBとしての名があるので、久しぶり顔を観ることとなった。私は、定時制高校の時は、JRC(青少年赤十字)のクラブの部長もし、アンリージュナン、赤十字創始者100周年記念事業にも京都代表としての参加をしました。その後、和歌山に行っていたのでの奉仕団入りである。 席の右横に、同じ洛陽工高定時制卒業のTさんとの初顔でのいろいろな話ができ、楽しかった。この事も奇遇である。そして、

Sの突然の話が飛んでくる。「朝は8時に出勤して夜は、8時半ごろまで働いていた。ブラック企業やで、京都日赤支部は!!。」赤黒い顔をした酒の回りきている様子。が、続くー「もうー、わしがいる時には、一人自殺し、一人は身体をつぶしよった!。そんな過酷な職場やー。けど、誰一人も止めてないんや。」そこで私は、「そんな職場だったらすぐに辞めたららええのに、何でや?、勇気がないんかー?私だったらすぐに辞めるけどー。」 Sは、「それは、日赤に、それなりの魅力があるからです。」ト言った。??!!。。。 そんなんで話をI君に向けた。

Iは、S県に妻を置いて、一人単身赴任と長年管理職をしている不遇な男であることを知る。昔の面影は少し目の周りに残し、あとは、腹が出て、頭は、男性ホルモン充分ありまっせである。私は、「奥さんをこちらに呼んだら―?一か月に一回ぐらい帰っているの―?」と問うた。I「一回も帰っていません。子供も大きくなっていますし、もう、よろしいですよ!」 私「そやけど、奥さん寂しいでしょう!」う!。」そのあとは、彼の解からん発言であるので記述を控えます。。==””隣人を愛せよ””、隣人を愛せよ””、、君は!何所で働いているのか??。===。

宴席も深まり、一応,あらかじめ幹事に申し出ていた、私のまだまだ芸の不十分な”腹話術をいく太郎とめいめいした人形とやらして貰う事をした。内容は、{政治家:府知事の退職金:大阪府知事は0、対して、赤字を抱えての我が街の府知事は、市長も、会社の形態ではそんなひどいこと出来まへんで!!!。何千万円もー}、もう、天国におられるお偉い土光さん、松下さんなどに、無礼な人生しておりますよ。}の事など短いものであった。終わった後、あんまり評判は良くないような雰囲気であった。今、熊本県、大分県大変な時、忘れてはいない、寄付を募ることをしなかった。時は流れ、別れの時が来て、又、会う日まで。

京都3区選挙速報を確認する。民進党が勝った。大きな民衆のお金が政治の世界で議員達は多額な庶民とはかけ離れた報酬を毎月貰いしている。今、この様な、贅沢なお金の使い方!。”身を切る事”自らの報酬を減らしてすると大阪維新の会が、子供の為への心出費などに使う事が出来ます等。残念にも金勘定の薄い人たちによって、”京都の出てくる料理のような、お皿は大きくて中身少ない、飾りで誤魔化し味舌好みの塩気味血管には良くない”実態が現実化した。8対2程の票の違いであっただろう。

”汝 自身を知れ” を、今の、この時代の、自らの生活はお金が無いんだよー と 言ってて!!。解釈と分析力無く、浮かれ言葉におどり好きな、ぬるま湯の中の蛙さん達の選挙結果を呈している。と思います。親は、子供の為に頭を使って生きなさい。すずめもいまの時、巣作りくちばしにいっぱい藁をくわえて飛び立っている光景を見ます。。。。。!。

 

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 10:42 PM  Comments (0)

高浜 1号機and 2号機 老体に鞭を打つ!!!

誰が!!、合格と宣言したのだ??。。。声明をした其の人のことを世間に公表してほしい。責任者の所在を明確にして、もし?、放射能の散乱事故時、処罰は生まれるのですから、。。。法治国家、日本だから、。。。

40年の長き時を迎えると、特に、放射能という怪物との戦いで、金属は疲弊しているとされての、””廃炉””と学者は言われ、関係人達での結論が存在している。 「新しい基準??。。???。での審査がOK取れましたので、まだ、動かしますわー!、と、who  said??. ””声なき声の進行形。”” 人間もある年ともなれば、肉体も弱りと成り、内部での血管の状態も、若いころより*傷多くはあり、血圧も高くにありである。人間の血管と同様に、原発の圧力容器は、長い年月を経過してでは、いつ!!内部圧力には耐えられず、人間に於ける””脳内出血”に至るのか?と、大変心配である。”金属疲労”トいう事なのだ。多少の知識は、実際現場体験としては、前の、ブログで少し記しました様に、青春時代の荒松製作所、住友金属試験課での現場体験からです。

きっぱりと不純な心の思いからの行為から、絶縁するべきです。あなたは死んでからでも、子子孫孫は不純な歴史を背負っての多くの事を悩み、苦しみの人間世界を観ることとなるでしょう。!!!。

人間は、何のために、産まれ生きているのか? 生活のお金の為だ!。トいう人。少し欲を落としてでも出来ていた人間生活の時、今の世の浮かれた風、TVでのCM、日本語もしっかりと喋れへん司会者、出てくる人達、歌う人。 泣いて苦しがっている弱者たちに、高給を貰っての与野党の議員さん達、身を切る活動をしなさいよ。口先だけの間抜けジェスチャーは、要りません。

昨日は、私はタレントの一人として、車椅子に載ったり、押したり、スマホとかノートパソコンをたたいての等、仮の妻役の方といろいろなポーズを撮りで、室内で川べりでのカメラ撮影の初めての経験のお仕事を楽しくやらせていただいた。スタッフの方々も大変であっただろうと思います。ありがとうございました。1400枚ほどのシャッターをきられたそうでした。朝の8時半から18時ごろくらいまででした。天気も良かった。

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 5:52 PM  Comments (0)

色色老人の生きざま発見ソレゾレ==その1

”年寄りになったなー” と、その人は、自分を爺―、婆―と身体を観て等で、自らを認めてしまう。

60に為っても、70に為っても、それ以上に年を数えても、私のように、”万年青年だ―”と、鏡に向かってでも、そして会う人もー「佐藤さん若いねー!!、御年幾つです?」と日本人の決まり言わんでもよい挨拶言葉と、おせいじ言葉がある。  ギネスに載ろうか?と70からでも大学に入り80歳90歳近くで卒業をされている老人が時たま新聞に載っている。学長:「この勢いで大学院を目指してください!」 老人:「学費が大変ですので。。。」と言う事を返礼として答えられていたようです。大学という学問勉学の為に、我が人生の時を、精神と老いの肉体との戦いの中で無事に周りの多くの方々の有形無形の助けによって、一枚の”卒業証書”を手にした。その間、多額の金銭を費やしたであろう何百万円ものを!、良く病に会わずのことであったなー、幸運の方だと思う。自らの為、残りの時を使うシニア。私は、近畿大学通信課程法学部を2年生の時、今年3月31日付けで退学をした。其のことは、まず、学費の出費の多いこと、一科目スクーリングに¥8.000.-振り込み必要。授業受けの為の交通費など含めて、一万円ほど。参考本、講師の発刊したもの必要と成り、2000円~3000円も買わざるを得ないことと成っている。ある時、串本に妻と旅行時、「そんなにお金使って苦労せんでもええんと、後の僅かな人生、奥さんと楽しい旅行に行ったりして楽しんだほうがええなと思います。」と、他人に見ず知らずの方に言われた。私は、--ああー、そうだなー、科目試験をうかっても、何日かすれば、忘れてしまう!頭の中にほとんど残っておらん!。法学部の講師の問いにも、その先生の考え方にそぐわない論文で答えとして早く提出して終わり教室を出たことでも、可 で、ええ加減な採点方法だ、授業中に講師の言っていたことに、”これこれですよ”と指摘をみんなのところでして、訂正をしてもらったことことも、ちょっとあるのかなー??。論文以外の採点は満点で合ったから助かってはいた。 残りの我が人生を弱者救済の為にも時をも使おうと決めました。

自分の為に、持っているお金を使っているシニア達の存在はある。他方、80歳の矍鑠としたシニアの人。同年代の人々の為に、”介護をしよう!!、””ト思い立ち、その為の勉学に精を出し試験に合格して、免許証を得て、介護施設で自らの残りの人生を働くと、言う事をしているシニアがいます。高齢デアルトいう事での採用規制をつけずに受け入れる経営者も立派なものだ。

ぶらぶらと散歩の毎日。そして、毎日の行きつけの公園などに行って、食の不足を感じているだろうなチュンチュンさえずりしてくれているスズメとかハト達に、定期的な時間にパン粉などをふるまって、与えているシニアもいます。

人は、誰しも、自らの事を愛し、また、人の事をも思い、愛し等での人生。”健康と、笑いと、心ある事を。。。。。。

 

 

Filed under: 思い出いろいろ — yoshihiro 2:00 PM  Comments (0)

京都での果敢無い脈々道に吹く音

京都は脈々と先史より今を京都を山河と共に、ある時より今も、雅事を造ってきている。体に汗を流しての動きを成している庶民の人達と、口先と 手先に瘤を造らなくても生活が三度のおまんまがいただけるの人達の存在する二重奏を成して盆地形成ある土地柄に、色色な道を考えながらの時を過ごしている。 昔の悪しき歴史の人達はーーーー

ーー毎日を、贅沢放題での公家族を造り、大きな屋敷の中で、浮かれた人達ー{麻呂は~、とか言ってホッツホッツ}と庶民をあざけ笑っての時代はありましたそうです。そして、---

ーーー花を愛し花を生活のなかに”生け花”の精神安らぎを求めての所に、華やかな道、”華道”を造り、きれいな着物を着て化粧に心を配りの集いすることでお金の流れを生み、そこに産業も生みで、又、今も、三角形を成した組織の中で、心の清き流れの成育は、あるところのお金持ちでしかないと楽しめないものとして、これも、大きな建物の中での一種の遊興と見え、遊金化ト動いている。昔、一休和尚は一輪の花を召して、そこに、心の充実を知る。と云うた。と思うのですが?。。ーーー

ーーーまた、お茶をいただく事も、人は、儀式を造り、そこに”茶道”の精神的な道があるのだ!!、ト言って、同様に、生活の中でのお金には、おいとの無い(無理算段)の人々の集まりを造り、三角形成の組織を造り、お金は、動く。茶器の商品業者の生まれなどでの交流も出来るが、ある。

今も、問題である人々の生活の中での、”貧富の格差”と言う事。悠久に、ある惰性的に汗をかかない手先での事造り、集まりに、自らの精神道を鍛えるのです。ト言うまやかしの姿を造り、他の人々の事を排除するような人間が出来ないだろう―か?と、危ぶむ一人であります。

、もっと書きたいのですけど、時も遅いのでつずきは、またの時まで。

 

Filed under: 悪癖と悪風の群衆 — yoshihiro 11:24 PM  Comments (0)
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