不条理な声を響かせる女

女性も永年居座って、永年上司と伴に席を同じでいるとしていくと、覇権的な振る舞い。言葉使いに至っても、

“私の後ろには○○上司が付いているパトロンの如くに錯覚してしまtって”小さな4人の女部下部屋で、言いたい放題。

その上司も聞いていても、聞いていない振り。このTは、仕事はできる。一見弱そうなに見えるが、お客であろうが、まず、人 の 話を

聞くと言う姿勢は無い、ギャーギャーと自分の言いたいことををしゃべる。大部屋での勤務では、許される言動振る舞いは当然出来ないであったろう。が、体を病んでいる。私も、6年ほど前にウクレレハワイ演奏のとき、シルバーさんたちの前で、演奏終了後、脳内出血となり倒れた。何か悪いことでもしたのか??!!。。。

 

不条理  顔も見えない

         悪言葉

         耳に伝わる  傲慢心音(しんね)

Filed under: 未分類 — yoshihiro 11:33 PM  Comments (0)

 黙黙と黒い心の涙が深々と進捗している。

河口湖の水位が1メートル程下がりしている。”いよいよ富士山爆発する前兆だ”と想う一点もある。魚も、減少する。只、このような現象を知り、自らの楽しみだけにしか考えることの出来ない”アホな人間族”が人生の貴重な時間を削ることも省みずわざわざ見学に集まっておる。甘い汁に集結する黒蟻の如く。”わーー、こんなんなっているーー!!”と目に映るのみの現象にしか志向が働くことの不能者である。この違う驚きの大自然動化の不可思議を見て、””どうしたのか??””との心の動きさえ出来ない日本人が増えてきている。と思う。最近の若いTVnews、マスコミの記者達にしても、”なぜ??、どうしてなんだ??それを!、どうするるんですか??等の底までの質問の追及が出来でいない、いつもの静かな勉学をしていない。一方、ある政治家においてのTV談議会なるを視聴しても、YES,NO を言えない情けない小太りの着せ替え人形な時間給なんぼです的男女が座席に座りしている。終わって、彼ら司会者と座席人たちの具体的な”こうするんだ”の心からの心情の美しい日本の景色はボケ過ぎた霞のように映るだけだった。

私の案の一つでは、: 国会答弁に、: この地球で住まわしていただいていると言う敬虔な時間、地球環境の答弁、質問し解決時間を持ってもらいたい。それは、今既に悪化している”南極北極の極大な解氷、海氷とノルウエイ海底などから噴出している悪魔のメタンガス”を小手先のお上手な、尻切れトンボのボケる事の好きな、政治屋さんを排除しての””人間守る人達政治家団で”あなた達が、この地球上から消滅すまでに改善する勇気を出して毎月の給料分以上にがんばってほしい。とのことです。

それと、facebook とかTwitter とかは、単なる気分晴らし、なんら只ほえることのみで、自らの記録帳には残雪の如くに、あらず、我が人生の指針となる返事となる流れは感じることは無理である。ただ軽い、お遊び的な文学つ刷りの世界を創っているんだけだと思う。電話一本の時間の界では、多くの人間的人情間を感じる。”今の世の中は皆さん忙しくしているんだ”と暇な人間ほど嘘ぶる。お互いの心を熱くすることの大事なことを置き去りにしては??と思う。地球も毎日熱血の如くの赤いマグマを造り、表面では木々を育み、花を咲かしなど、がんばっているのだ。 胡坐をかいて権利欲を振り回してる者は、許せない。

Filed under: 生命(いのち) — yoshihiro 1:31 PM  Comments (0)

 薄っぺらのせんべい布団 で、彼と一緒に寝ました。 

随分と昔のことだ。住友金属和歌山製鉄所の試験課に配属され、当時は、高炉をボンボンと建て、経済関連のBOSSとして、政治家への言もよく言ってられた頼もしい”日向方斎”と言う社長は、私の系列の上司でもあった。私は、当初、朝は良く出社して本社前、近くに祭ってある神さまを掃除していた。ある日、伊勢神宮にある”修養団がする神都道場なるものへ会社命令で1月8日から行って来いというもであった。掃除は代わる代わるの朝、勤務始まり前に約30分ばかり多くの大先輩としていたものだ。何で?私が?もう一人の工場長(200数人の部下を持っておられる方)と?の、思いが直ぐに、脳裏を走りました。私は、入社のまえは、京都大学工学部の盛 利貞 教授の直属で研究員として冶金学教室の中で、実験作業をしてきました。そして、洛陽高校定時制卒業のとき、一応、盛教授が、国家公務員初級の試験を受けてみろとのお言葉があり、受けて、合格しました。高校の仲田校長さんは、「今まで、国家公務員初級合格は、たいへん難しいて、」と校長室までに呼ばれて、担任の、佐倉先生共々褒めていただいた。しかし、受かったんですが、内の私の佐藤家のお金の事情大変なので、公務員は当時は、給料は、民間の会社と比べると低かった。ので、私は、京大での職員は、無理です。と盛 教授に進言しました。快く感受くださり、それでは、和歌山にある住友金属の入社試験でも受けてみますか?と言うことでした。大企業に定時制卒業の人は、まー入社暦は無いと言う事でした。私は、ボランテイア活動ではJRC{Junior Red Cross}青少年赤十字部での部長、文化部長、級長位の、お山の大将では、社会の海原には通用せえへんで!!。と確信しましたが、盛教授のバックの応援もあり、入社できました。教え子が試験課(ここも200名ほどの社員さん)の課長されている所でした。ただ私を見る目が甘かったので、いやだった。いずれにしても、いま、修養団の主幹として奉仕活動に日夜邁進されている、蓮沼力太郎さん(お父様は、蓮沼門三99歳第一代の息子様,当時の宇部興産からの代表であった)と修養期間は冷たい五十鈴川に白衣を纏って早朝、一緒に首までつかりました。そこから上がった後の少し一杯の甘酒の接待は、ほんとうにおいしかった。一度は、会いに行って昔話に、よき時を持ちたいと思う年となった。いま、富士火災そして最近、new India insuaransの代理店をしている。今の、富士火災はAIG とかとの関係と一緒になるかどうか?AIG のトップのホーンなどと20年間のアリコジャパン当時、総会の時には、NY一年間元中曽根総理の社団法人日本人間能力開発協会の代表として留学しました多少の経験を生かしてツタナイ英会話をさしてもらったことはありました。何時か、AIGの外人さん、また、元アリコジャパン京都支店におられた戸国COさんともお話をしたく思う。平成19年6月26日悪夢のような脳内出血で69日間の入院。それからの杖を突き、愛車に乗っての、ペタルを踏むがすべりすべりの連続、いまは、30回にいっぺんぐらいの踏み外しはあります。早く、オートマにしたら!と言う人もいるが、これも、リハビリです。もう6年が来ます。しかし徐々に、OKとして生てきている。

Filed under: 思い出いろいろ — yoshihiro 12:09 AM  Comments (0)
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