我楽多は、がらくたの人間性であった
西宮市に”我楽多寄席をやっている。素人の社会人達が関西から楽しきやっている。ので、来る人どうぞ!!、インターネットにあったので、入会をしたいと思いそこの市民交流センターに1時半に着いた。赤い法被を着ている人達の中での一人に尋ねる。「今会長がおりませんので」と言う事で、私の住所、氏名等の紙を渡した。寄席も始まり仲入りと成り、その時に会長さんと言う人に合い「今会員は募集しておりません!!」と言う事であった。6人ほどで番組は終了するのである。なかなか舞台に上るのはなかなか来ないという。今回で46回に為る。多くに会員がいるのだろう?!。なるほどと思った。プロの落語家でさえなかなか多くいて弟子たちの出番を創ってやる事も、今の落語界は大変なのだろうと思います。現代の社会での会社組織でも”長”という位の頭打ちでの満杯に苦慮しているのと同じであるようだ。だから、”繁昌亭”の館を造り、どんどんと増えて来る若手落語家のエネルギーの消化出来るとなっている。落語はまずその喋る人物の声の心の響きである。最近は下手な人物が多くなった!。声に味の無い、平凡である。ただス――ス――とろとろとの喋り方である。
私はもうずいぶん昔、桂米紫と言う落語さん、桂に御住みで落語会の事務局長もされたときにはよくよくお付き合いをしていただき、木幡のユニウジマンションでの寄席をしていただいたりもありました。感謝の手紙も持っております。桂米朝さんが飛ぶ鳥落とすほどの時でした。その時は、味があり、渋味もあり、甘味ありそして善く聞ける声の響きでしたね―――!! 米紫さんが祇園のサウナで突然の死亡されました。お葬式には桂ざこばさんは来られた、人情の熱い方だとその時思いました。先日、すずめ劇団の””応援しよう”では、一緒のグループ中での主婦の一人が過労での入院をした。仲間達は全員で、彼女の携帯に応援団服装全員応援エールをしてあげる。また、「何故、彼女があんなに苦しかった事に気が点けなかったのか!との自戒をする姿勢の場面は今の人々には何か?足りないものを持っているっことを感じました。
京都市会議員達、職員達の報酬は、全国を比べるとオリンピック表彰されるなかでの所に来ております。子供も産めない家庭!もいる中、年金生活での不安を持っている老後人生等の現状、今日も桂駅阪急でおばさんと話していた時、「あんた政治家になったらええのに―」と言われましたが、また「ぜんぜん知らんのに握手握手と選挙の時だけするね―??」とかの話しをしました。外見だけの人間、口先だけのその時その時だけの””情の欠損しておる人間””
ニュージランドの自然素晴らしい国持つ国での銃乱射!若者達の心はこれから、平和にしてあげて、の働きは議員にも課せられてはいると、思います。嵐山には中国人の若者男女が隋分と増えています。中国政府は今も、我が国の領海侵犯を繰り返しています。韓国も今の政権は祖父達が造った日本との友好を破壊しています。毎日が楽しく生活の出来る日が保てるように議員の思考感性をもっと磨いてほしいものです。