近畿大学を思う!。そして、大学に想う!!。

今、今年の4月から近畿大学、通信教育制 法学部正科生の2回生編入を許可された。二十歳代に一度在籍をしていたのだが、仕事の都合もあり退学をしていたのであるが、この年70歳となってまた大学を思い勉学をしたくなった。スクーリングを、まず手始め、朝の5時には起床、6時半の市バスに乗り、松尾大社で下車、阪急電車で梅田駅まで、大阪環状線で鶴橋で下車、近鉄線で長瀬駅下車、そこからの徒歩15分ぐらい9時位に入門する、8年前に患った脳内出血の後遺症左側の全体(、手、足含む)の不具合ありで、リハビリには少し辛いが、良い距離であると思っている。安い学食あり、私の年かっこうの男性との伴と成れて、若き年少にも囲まれての時間を過ごせることは、私の”やる気”が、また、女房の後押しもありでの事であると思う。

只、今思う、おかしい―なー!!の事;

科目試験を受けます。が合否の結果の通知は、今迄、いつの日に来ることか不明であった事だ!!!。なので、先日、事務局の窓口で課長補佐に、「試験の時は、私達学生は(高校生までは、生徒と言う、と法学部の、法学入門の重村女性教授は言っていた)一生懸命に頑張って、答案を書き、提出もし、遠い人は、私の知るところでは、徳島から其の人も高齢です。なぜ??単位修了試験成績通知書は何月何日にお知らせできます。とのきっちりした仕事ができないんですか?と 問うた。「その件通知送付日を明確に来季4月からします。」とのことでした。~今までほおっておいたんかー!!。~。11月28日に最終スクーリング、試験終わり、それから3週間経過しても????なので、私は行動をしました。 そして、わたしは、試験問題は、その教室内では、三番目以内ぐらいで、問い1&問い2もOOO述べよの記述式なので、事の年月日も入れての筆記もして満足感を持って提出した。が結果は成績70であった。後の30はどこがいけないのだろうか??。郵送されて着た一片の葉書上には書かれてはいない。成績60以上は合格ではあるが、自信はあったので、大変不満で、不服です。教授のその時の感性、感情などで、記述式はええ加減な基本の無い採点となるんだろう!!と、また、誠意の無い期間で無言ある通知するhagakinomino 教授の姿勢。なにか、この学校が嫌になってきた。

学生達の為に、考えよう!。奨学金、借りた金は、返金してね!という金融業あり。卒業の為の総単位数の改善をする時代に来ているのでは。。。。。。。など。学校内では、まだ足りません、と言う様に、大きい校舎鉄筋校舎の工事が進んでいる。親の高齢化と子供の為への高額な学費の捻出に、在る場所で、母親が、戦後の””ヨイトマケー””での人夫姿での労働をされているとは同様な、マンションで床掃除をされているご婦人と話をした機会がありました。 「息子さん今大学に行っておられるんですか?、お金いりますね―”」 「はい、そうですねー、わたしがこんなことせんと、だめなんですわー」とのことでした。今、大学をでたって、、、、。という、世相ですね。大学を出んでも、世界の中でも、この日本のなかでも、数え切れないほどの世の中に素晴らしい貢献、努力をされた人々がおられる。故田中首相、松下電器王、などなど。今、これからの人生での、時の使い方を推考している。12月23日”スカイアクターズ”のシニアオーデイション”に合格。ひとびとのお喜びの事への出発出来た。この事も、林社長のお陰です。今度は、シニタアレントとしても時を費やします。

 

Filed under: 時事論評 — yoshihiro 11:47 PM  Comments (0)

Cop 21= Zero Defect Safety Number 1、 安全第 1

自分の国の民、弱者、子供、老人 女達の生活環境さえ、助けられない政治家達も集まって、良い服を着ての、三度の良い食事を取ってもいるのだろう。!!。 経済第一。第一のMoney,Moneyでの,進行での、今日。その下では、赤信号が出ている人間にとっても大事な空気が、先進国であるといえる 今日の中華人民共和国の首都、北京も、インドのニューデリーも侵されている現実。

私は、定時制高校4年生を卒業39年度、家の為もあり、住友金属工業株式会社 和歌山製鉄所に入社は当時の、京都大学工学部で鉄鋼業界大変有名な盛 利貞教授 様の下で2年間 冶金学教室で、研究さしてもらった。そのおかげであります。精鋼研究所での仕事であった。転炉や、平炉や

と言う処の熱風ある現場での1400度もある煮えたぎっている現場での鋼のサンプリングをして、それを分析センターに送り、その鋼の分析をしてもらい、それの成分を報告書にまとめてより良いものとするためがんばていました。製鉄所の要でもあるところでした。1か月85時間の残業もしました。近く歩いて5分程に会社寮がありましたので3食も確保されていました。

会社は、事故、現場でのけが等の無き様に、人、人間、そしての社員達への想いの為での、善き環境で働くための ”スローガン:安全 第一 :ZERO    DEFECT  を、全社的に号令をかけ、働く為のより良い環境、楽しい環境作りに邁進しました。すると、この様に、””利益追求を第一だーー!!””という無謀を捨て去った思いでは、会社の決算は良くなった。

COP に集合しておられる方々は、シャツとトレーニングパンツでの格好で席を同じして、利益追求思考の発言は無し、自国ではドレホドのガス削減出来る能力があるのか?!を約束出来る根性のある人間か?とも 言える場所にする。としてくださいと思います。なぜ??、あなた達は、後10年、20年、30年などなどで、無責任、まとめ無しで、で、”sayonara” では大変困ります。今、産まれた希望あふれる赤ちゃん!!。後5年10年でも気候は、温暖化の上昇、海面の上昇等などは、ええ加減なことしてたら。。。。!!

 

教授

 

 

 

Filed under: 思い出いろいろ,未分類 — yoshihiro 11:39 PM  Comments (0)

想いやり 京都、コンサート ホール、まだこんな心での仕事するの!!

2015年5月30日、”冷やかなお出迎え”京都コンサートホール!、1階ロビー!!。での、ブログを書いた。大変うれしい電話。多くのお疲れの方々の為に、やっと長椅子1階のロビーに設置するとの事で、20年来の事が出来た。とのことから、約、5か月を経て久しぶりに、コンサートホールで竹中 真 さんと言う人が、ジャズを弾く。クリスマスも近ずいているので、私も好きなジャズで女房が500円でのチケットを都合していたので、随分、前での事件、”長椅子の設置”、どんなものが在るのだろう?との、確認も兼ねて出かけた。

ロビーに着き確認をした。3人用と言っていた山本事務局長さん。其のとうりであった。しかし、なんと、粗末な鉄板張りの鉄骨作りにクリーム色の塗り上げ、座ると、お尻が、ジワーッと冷たくなる。一緒に座っていたおばさんは、「お尻が冷えてきた」と言って,立たれた。「座るとこだけでも、木にしてもうたらええのにねー」と。。。言っている人達もあった。 私も、健康な人でも、こんな無責任な他人への想い少ない作りに座って、痔病でもなったら、””京都市の大恥””だと思う。宇治市のコンサートホールのお客様へのの想いあふれる長椅子は、こんもりと温かみのある座り心地良い、と成っている。

そんな思いで、ピアノ演奏を聴いているからでもないが、26歳の時USA N.Y 1年間居たでのジャズを聴いていた耳が不満だと囁く。それは、大変多くのすばらしい肩書をお持ちの方であるが、黒人さん達の生活の中のジャズを聴けない。ジャズ特有の柔らかを出すピアノの音色、流れる音色を出しいれていない。堅い音の流れでの曲で日本的アレンジ。 スースーと耳元で音を聞く。あの音の好きな女房が寝ている。肩をつついて起こした。盆地での生活で、一つの”だまし”は、行けるでしょう。

 

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 6:55 PM  Comments (0)
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