NHK 番組 朝10時”ええトコ”のロケ隊を観た。

たまたま、9月29日、近くの、岡幸 という農家、お年寄りと若夫婦達が野菜を販売しているところで、18時ころに光を当てての撮影であった。私も、大阪から来たという若い女性のスタッフに、「3月11日に起こった福島の大災害で今も苦しんでいるっ人達や、その時に多くの死人が出てがあり、天皇陛下も忘れず、日本人として記憶を消さないようにしてほしいというお言葉を覚えています。私は、営業車の後ろのガラスに2枚のポスターを張ってあのひどい災害を同胞である日本人自身がいつまでも忘れ去らないようにとの思いで京都市内でも走ってはいる。と、又、東京から来たという指揮者的なスリッパはいた青年でも何も関心を示さなかった。{NHKではねーーー?}とかのお言葉が返ってきたが。。。。。

撮影を見ていると、今まで見た事もない、岡幸さんとの手作りの食事を男女中年の、から大きい女性と俳優の男の場面であった。最後に、あの東京から来たスリッパの青年が「これは健康に良い、身体に良い!、と言ってください」と言っている。、、、、??これやらせじゃありませんか??私は、過去京都中小企業家同友会で広報部長5年ほど又、常任理事も体験した人間です。 この番組、薄っぺらい良心の薄い人間で構成された報道であると思った。その場を薄暗くなる時を直ぐに家路を急いだ。

TV報道、NHK報道、等はやっている人間その者の資性などで左右される。政治家も党であるという以前に、その本人の資性が大事なのでしょう!!>、私、相当前のブログにも書きました(一休和尚、ボロボロの袈裟をはおり葬儀場に行けば入れず、立派な袈裟で行けば=さーーどうーぞどうーぞ=と、通される。” とっ、このお話。京都は特に多くありますでしょう!。言うてる人間はそんなに大した人間でもないのに、ヤドカリの貝の如く、背負ってる貝は立派に見せてる。と言う事と一緒です。

世界の中の日本を勉強しましょう!!。っそんなんせんでも生きて行かれる――っ!!と言われる方は、日本を出て行くよ!との思いは無いでしょう?この問い?いかがされますかなーー??。

 

Filed under: TVの功罪 — yoshihiro 7:29 PM  Comments (0)

感謝 感謝の言葉の毎日での仲 幸子母は100歳で天寿した。

平成27年9月6日午後1時に妻の母が、天国に旅たたれた。の電話を妻は兄から受けとる。

亀岡園、特別養護老人ホームの施設で暮らしをしていた。訪問をするたびに受ける言葉はいつもの、”何事にもの感謝をしています”という言葉の始まりである。自宅での生活の時も同じであった感を受けていた。あ――何と言うおかあさんなのだろうか!、この家の子供達も素晴らしい影響を受けての生活をされたのだろう!と、みぶの母との事では、まず、この母の心情の流れが我が心を打たされていた。

私は定時制高校の時の放課後の活動では、青少年赤十字クラブに。席を置いていたぐらい。たまたま白矢を受け、日本赤十字100周年記念事業に京都代表で参加をさしてもらった、ということはありますが、妻の母の偉大での純粋な心の実態生活行動力とは計り知れない深さがあります。大阪の空襲の中、荷物子供を背中、両方の手にも、幼い子供をつなぎさまよったという、ほんとうにみぶの母の御苦労もあった光景を聴いていての思いをすると!”よくぞ100歳を頑張れました。、9月14日では101歳ということであった。皆の見守る中での葬儀は9月8日告別式で、亀岡園の中で終わった。亀岡園の理事長皆さんも心温かい人達であった。感謝申し上げます。昨年、9月19日”合同敬老祝賀会”では、飛び入りでのことで、”イク太郎と私の腹話術をさしていただく機会を与えていただいた時から、1年程の過ぎ去っての時の実状と言うものも果敢無い物、無情でもある。

”健康 と 笑い と 心ある毎日” --合掌ーー。

 

Filed under: 生命(いのち) — yoshihiro 2:34 PM  Comments (0)

 久しぶりの焼き肉会は、心不満焼きになった。

本当に、”行こう、行こう!。”と妻と言っていた焼き肉食べの機会が出来たので、2年前にも行って、美味しかったな―との食感が何所か脳裏のどこかに残っていたからだろう。日曜日の朝は、適当に食事を終えて2時頃の昼食にしようという事にして、四条河原町にある”焼き肉や”を目指して91番の市バスに乗って四条烏丸終点で降り、そこから地下をひたすらに歩き行くが、大丸近辺では地下の冷房は効いてはいたが、藤井大丸近辺に近寄ってくると息苦しく熱いという環境を覚えて来たので、ふっと観た1階への出口があったので太陽ある、すがすがしい風の吹く歩行通路に出た。だいたいの感を頼りに、看板目立たない焼き肉やにたどり着く。

2階にエレベーターで行く。安い1500円の、”切り落としランチ”二人頼む。カタログでは赤身のある美味しそうに載っていた。いろいろの肉が入っているとの事であった。持ってきた皿の上では白身、脂身の目立つものであった。私は、「カタログと違うねー」というと、顔色も何も変えず店員は「それは切り落としでいろいろな肉の端を切っているからですよ!。」 と言われ、私は黙った。

脂身を食べに来て、店の出すカタログのメニューのカラ―写真に騙された。食事を終り、席を立ちエレベーター前に行こうとしたときに、店員は:「あのーまだデザートあります。」と言いに来た(店員は、

カタログに載っていませんがデザートは出ます、と言ったので)、、、ので、また席に戻った。この様な事は一言も耳にしなかったしカタログにも表記してない。少しの果物でも来るのだろうだろうなと思い待っていると2センチぐらい四角に切った解からないケーキと緑茶であった。私は食べなかった。妻は甘い物が好きなので2皿召し上がった。

肉が焦げるので困る。煙は出る。設備の改善したほうがいいでしょう!。ZAIGLE と言う物的な、設備にすれば肉も煙出ず、焦げず、又、ボウット炎が出ての危険性も無く、向こうのお客様では何回も網の取り換えをお客さんの目の前で入れ替えしているまずらわしい仕事も無くなるし、うまい美味しい食事ができますよ―!!。。。と、思いますが!!?。。。。。

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 4:48 PM  Comments (0)

柿渋液 の簡単な作り方

空が高く見える!!。秋が近ずいて来たんだろう―な!、と、吹く風も肌に涼しく感ずるこの頃。西の庭には、引っ越しをしてきたときに植えた柿の苗が立派な“渋柿の大木と成り、毎年枝をはらっているという現状です。今年は、たくさんの渋柿ができそうだ!。古くなった庭の塀にももっと長生きをしてもらうように、そして長く腐らないようにと思い、素人ペンキ屋さんをしてみようかな?と思い立ちました。あんがいと,きようなものですから、柿の葉は、蒸して干して柿茶にと佐藤家では自然のお友達と共に生活をしています。琵琶の葉も同じくお茶に、お金の入ってくる道はかなり細いのですので、Save   Money の連続です。

っでは!!、

 

、早速まだ緑色をしている渋柿さんに手伝ってもらおうとの思いで!””柿渋液を作ることにした。今迄した事は無い!!。がいろいろの知識を合作してやることにした。

①:バケツ、座る椅子、丸型の振いアミ、手ぬぐい、頭の部分がゴムの手ハンマー、スーパーで食べ物を入れる手提げ袋2つ(これは渋柿を5個ほど入れるので)=ハンマーでその上から打ち潰すことをしますので=、

②:出来ればサラシの袋を作れば便利です。サランラップ

③:ミキサー 1台

サー頑張って行きましょう―――。

 

緑色の渋柿さんを2枚重ねたスーパー手提げ袋に5個程入れ、下は固い物の上に置きハンマーで打ち、潰します。それを、バケツに入れます。ある程度たまれば、柿の枝にひっついていた茶色の固いものをよけて渋柿の実だけをミキサーに入れ適当に水を入れ細分化します。==この作業の連続です==。

バケツの7分目ぐらいに為ると水を足して、一つは終りです。それを日陰に置き空気を遮断して(サランラップで柿渋潰した上に使います。) だいたい4日目位で、、、、さらし袋の中に入れて絞りまーす。そして、ビンなどに入れ蓋をして置きまーす。==日がたてば立つほど柿渋液として立派になりますよ!!。直ぐに塗装に使っても、OK、後ほど茶色に為ってきますとよ。

以上です。

 

 

Filed under: このお話いかが? — yoshihiro 5:42 PM  Comments (0)
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