”” 平気な姿””
私も本日で、67歳の誕生日を無事迎えられることと相成った。大変感謝とともに、嬉しい事である。”東日本大震災”とマスコミも報道をしているが、私は、”東北地方大震災・原発人災事故”と銘打ち表現して、大災害の真性な事を言いつずける姿を持つべきではないかと思う。現地での苦渋ある毎日の生活は、時々、テレビで視聴する。実生活の市民達の多くの中まで” 復興 ”という響きは、伝わっておらず口先上面の政治屋は、汗をかく事をせず、足を動かさない。人間への動きは第2、人間不在の料亭通い人。三陸海岸付近のコンクリートの復興支援はがんばってやっている。 とある高僧から身近に聞いた話であるが、神戸淡路大震災のとき、何はさておき、組織力と魂の絆ある山口組の人達が多くの物流を集めて、その時の神戸の人達の心を安堵してあげた。と、いうことであった。 又、先日は、誕生日の前夜祭と思って、京都悠遊会という60歳以上の中小の経営者の会の昼食会に参加した。この会は、昨年12月に四条室町角のギャラリー経営している旧知、四条中学生の時の岡村君のところで洛王セレモニー のドンともいえる、北村さんと偶然にも、お会いし、即、入会を勧められ。入った会である。中小企業家同友会で、私が広報委員長をしている時に、北村様は組織委員長をされて、会員2000名達成で共にがんばったこともある大先輩盟友だ。その会で、土橋東映監督、第2作目の極道の妻たち、主演、十朱幸代女優さんのクランクインされた方の講話を聞く場だ。私は、不思議にも、宇治に小野さんという中古車回収業の友人から、突然ある話の中から”佐藤さん、今度東映でやる映画の中でのエキストラせえへん”といわれた事があり、私は、”何という映画です?”と尋ねると、彼は、”極道の妻”というタイトルと答えた。わたしは、そのときでは保険業をしているので?とも思い、ヤクザ映画なので、おことわりをした。彼は、このシリーズ映画の全部に関係する車の手配や又、いっときには、関東のヤクザ親分にも出演していた。監督の講話の中で、私の心の中で留まり響いた声の一説は、 テレビ水戸黄門は、昭和の天皇陛下は、特に楽しみにされていて視聴されていて、当時の松下幸之助翁さんが遺言でも”この映画、水戸黄門は、日本のためにもまた昭和天皇のためにも絶対に続けてお茶の間に流すように”とのことであった。 が、今の、東映の、幹部はスパーtッとTV水戸黄門やめ!!。箱物つくりの為に30億円」ものの商売の、バカなことをしていると思う。私は、青少年赤十字の活動をしていて丁度、定時生高校のとき京都代表として 日赤100周年記念事業が開催され。当時の厚生年金会館の中で、昭和天皇が皇太子の時に美智子様とともに謁見の栄をいただいた事を思い出します。そしてそのとき言った事を今でも覚えています。 ”京都の大通りでも、コンクリートばかりで緑の木々が少ない”でした。”よくしゃべれた” と、其の時、小学生、中学生、高校生(私と京都女子高校生)の付き添いの先生は褒めてくれました。日本の文化、文明は、多くの努力と汗と魂の結集で成る。一人の人を軽視をしての会社でも、今、たまたま出来合っている集団でも、所詮、気の会う善意持つ同士でないと何時かは、綻び、心の貧乏をする事だろう王だ。
そろそろ、キーをたたくのに、大変に疲れた。左半身の痺れが手も足先もきつくなってきたのでこれで終わる。次回は、、故。西村晃俳優さん、先日の寂聴さんの思いでは、又。この文章を打つのに10じamより2じ15pmと相成り。