会社案内
サイトTOPへ | 商品案内へ |
社名 | SATO OFFICE |
代表 | 佐藤 善弘 |
所在地 | 京都市右京区北嵯峨北ノ段町51−2 |
資本金 | 500万円 |
設立年月日 | 1989年10月1日 |
事業内容 | ・輸出入業 ・独立シニアタレント ・損害・生命保険業 ・専門家講師派遣 ・数秘占術師鑑定士業(元(株)開運館E&E在任) |
所属団体名 | ・京都商工会議所 ・日本腹話術師協会 |
TEL | 075−881−9578 |
FAX | 075−861−5523 |
モットー | 健康と笑いと心のある毎日 |
地図 |
その1.社会活動歴の一翼
━━━━━━━━━━━━
昭和20年3月13日(火)午前5時頃、戦時中の大阪大空襲、空が赤々と炎上の時に京都市東山区で、明治期からの京人形の三代目の長女の一子として産声をあげる。 | |
※昭和20年3月13日の誕生は、女優、吉永小百合さんと同じです |
|
昭和38年5月 | 京都府青少年赤十字の代表として、 日本赤十字百周年記念事業に参加(於東京厚生年金会館) |
昭和41年1月 | 伊勢神宮修養団社会建設全国中堅幹部神都講習会を修了する (住友金属工業株式会社和歌山製鉄所の代表2名の内の1名として参加) |
昭和41年10月 | 和歌山県職場職域青年リーダー代表として、御殿場国立中央青年の家にて参加研修 |
昭和42年1月 | 和歌山Young Mens
Clubを3名で創設し、書記長を務める (現在和歌山YMCAとしてある) |
昭和43年3月 | 和歌山県代表として日本健青会近畿地区中堅青年錬成会に参加(於御殿場・中央青年の家) |
昭和43年9月 | 国際ワイズメンズクラブ協会和歌山クラブの書記を務める |
昭和46年6月より 1年間 |
社団法人人間能力開発協会(Japan Manpower Development Association − J.M.D.A.)付属大阪高等研修所より、選抜代表者として北米 U.S.A. NewYorkに渡米研修する。N.Y事務所を設立し、N.Y事務所代表者として多くの日本よりのJ.M.D.A.学生のお世話をし、学習等をする。 |
昭和47年6月〜 昭和47年8月 |
欧州11ヶ国研修旅行をする |
昭和48年4月 | 京都青少年連絡協議会の副代表幹事を務める |
昭和56年3月 | 竹村 健一世相講談クラブ京都支部を発足し、会長を務める |
平成3年7月 | ”いい話しの新聞”京都支局長を務める |
平成5年3月 | 京都中小企業家同友会広報部副委員長 |
平成10年3月〜 平成15年4月 |
同上広報部委員長・常任理事 |
平成16年6月 | 日本スマイリスト協会の副会長を務める |
平成22年10月度〜 | 京都市立洛陽高校定時制同窓会幹事長を務める |
平成21年4月 6日7日8日 |
KBSテレビ 大山こしひかりCMに出演 |
平成21年12月 25日29日31日 |
サンテレビ(株)宇治森徳、かおりちゃんCMに出演 |
平成23年1月18日(火) 朝7:00〜7:30の間 |
サンテレビ(株) オリオン株式会社、オトナシガレットCMに出演 |
平成23年1月20日(木) 朝7:30〜8:00の間 |
|
平成23年1月24日(月) 朝7:30〜8:00の間 |
|
平成24年3月5日(月) 朝7:30〜8:00の間 |
サンテレビ(株) オリオン株式会社、ココアシガレットCMに出演 |
平成24年3月8日(木) 朝7:00〜7:30の間 |
|
平成24年3月13日(火) 朝7:30〜8:00の間 |
|
平成24年12月26日(水) 朝7:00〜7:30の間 |
サンテレビ(株) オリオン株式会社、ミニサワーCMに出演 |
平成24年12月28日(金) 朝7:30〜8:00の間 |
|
平成25年1月7日(月) 朝7:00〜7:30の間 |
|
平成26年6月 | (株)サンワードあるパカふれんずCMに出演 |
平成26年8月 | (株)サンワードまんまるうさもちCMに出演 |
平成28年1月26日(火) | KBSぽじポジたまごで放映される。 京都成人の日記念式典。 思い出成人式(70歳の参列の紹介) |
平成30年3月3日(土) | 読売新聞朝刊カラー全国版(13版)に オリックス生命CMに掲載される |
平成30年10月10日(水) | 日本パペットスマイル腹話術協会を発足しました |
その2.只今の奮闘のご案内
━━━━━━━━━━━━━
平成19年6月26日(午前11:00)頃、おばあ様おじい様達の前で ハワイアンウクレレ演奏の終わるやいなや左側にピリピリと電撃が走り、 立てなくなり、ぐにゃりと倒れました。
先生方、皆様のおかげで京都南病院に救急車に運ばれ ”脳内出血”となり、名医二階堂進先生のおかげと我が妻と看護士他、 皆様のおかげで峠を越す事が出来ました。
そしてその後、まもなくリハビリの良い中央病院に移る事が出来ました。
車椅子生活をし、ここでも昼夜に続く力大きい介護をいただき、 9月2日、入院日数69日間で退院、その時我が家の階段も上がれず、 毎日は杖生活。
”気力と行動力と絶対治るのだ” の思い。
”チャップリンは人生で勇気と愛とサムマネー” と言った。
心の中にこの気概を持ち、笑顔を持ってやって来ました。
今、歩けます。左の手足もあと少しのしびれは有ります。 日常言葉は良くしゃべれます。当初は口も顔もいがんでいました。 毎日不自由な事でも歩きを続けました。 ラジオ体操もしました。今も続けています。
只今も、これからも、あとの残る人生に皆様が喜ばれる事をどんどんと 時の続く限り、また我が妻の喜ぶ事もどんどんやって行きます。