“喝采”出来ないとき !!

”喝采”を贈る時、どの人も心の底から涙がこぼれる時もあるような、その時に拍手と共に立ってするよ。私は、時々木曜日の夜8時からの歌謡番組のテレビを観ている。”喝采”という歌は、今既に、歌謡界から存在しない、 ちあきなおみさん。あの時の秋から爆発的に売れて、年末に驚異的にレコード大賞を取ったと言うあの彼女しかから出せない軟らかい、すこしかすれてのなんとも言えない、歌声と、その表情。女の哀愁ともいえる訴えある歌唱力ある彼女をいまだに、私の脳裏から消えていない。そして、多くのフアンの人もいることだろうと信じる。だが、このような重い歌を ”天童よしみさん”が歌っている。すばらしかった故美空ひばりさんの歌を唄っていたこともあった。彼女の歌声は、ピンと針のある歌声である。なぜ、欲をして雰囲気も合わない、それも天童さんの歌筋と正反対を歌ったのか?また、お茶の間を不愉快にしてしもうた。プロは自らの筋を歩んだほうがお客様を楽しませることが出来ると思います。 ”さらばハイセイコー”:増沢末夫さん。愛馬の手綱を握った男だ。歌は素人であるが、ーーーー” ”誰のために走るのか   何を求めて走るのか  恋に別れがあるように   この日が来るのが怖かった   ありがとう友よ さらばハイセイコー ”。-----                                                      と素晴らしい声量で唄ってくださった。 また”、おゆき ”を唄ってくださった内藤国雄さん。素人の歌手さん。で、将棋の棋士。王位のタイトルを勝ちとられたあった。ーー” ”持って生まれた運命まで  変えることなど出来ないと  肩に置いた手をふりきるように   俺の背中にまわって泣いた   あれは、、、おゆきという女 ”。 立派な渋い戦い抜いた男の声量が響く。ーーーーーーー。

人は、真っ当に、自らの、人生歌を唄って、肩に力を掛けずに歩いてゆきたいものです。

Filed under: 良心の独り言 — yoshihiro 9:39 PM  Comments (0)

子供を独りのすばらしい人格者と思うことの出来ないボケタ悪質ある大人達

又もや、影でこそこそとする事を悪質な自分の趣味として、毎日の仕事の中で、私の権力その物は、誰も越権できないぞ!!と思い込み、他人さんから預かっている大事な国宝的存在である”お子様”に手をかけ、純真な日本男子の夢多き白道人生精神を破壊し、肉体に目潰して、幼い命を謀殺した。と、私は宣言する。テレビを観ていると何人かの教育委員とかの肩書きの付いている大人達が一列に並び頭を下げての一礼をして、それが彼らの謝罪のジェスチャーで、この大事件の一幕は終わったと言わんばかりの普通の顔の表現をしておる。シャーーしゃーと、自動車事故でのように、事故報告をつらつらとまじめそうな面をして話をする。私は、彼ら教育委員会の存在は、お客様である子供達へはなんの満足感を与えようとすることも出来ておらず。今日まで、滋賀県の事件等等,ただただ事が起これば、”すばらしい人格を持つ子供、生徒”を守ってあげることは出来ていない。そのための知恵と決断と実行は無形と化している。たとえの一つを言うと、今回の選挙では、”決断”決断”と言い放っている野田さんはそこに生きている人間のための”実行”と言う重大な二文字の事を軽んじた。”歩” は裏変えれば、”金” と成る事をも軽んじた。 「 自らの子供に対しても、心の勇気を思っての声を出して言う事の動作はしているだろうか?との現実を目の前で見ることもしばしばあります。。。」。

Filed under: 生命(いのち) — yoshihiro 7:08 PM  Comments (0)

     憧れのMAURITS HUIS

2013年の歳は観覧車の如く右回りを始めた。私どもは、1月4日に神戸メリケンパークオリエンタルホテルに一泊をした、930号室真正面の窓からネオンあでやかに明るく色彩を放つ観覧車がおもてなしをしてくれた。巳さんの絵の動きも出た。新年明けましておめでとう も、で た。飽きずに二人は12時近く楽しんだ。1月7日 朝7時から7時半の間にサンテレビで(株)オリオンのCMに出演する事の宣伝紙をこのホテルの人に、配った事をしたので、一つ安心感がある。明日は、市立博物館で今、私が販売している商品のラピスラズリ原石を粉にしての顔料を使っての絵画。なんともいいぇない色の輝きと品格ある女性の顔をいよいよ見に行ける。人の流れは、券を買うために約30分も要るそうだ。ホテルで買ったので不要。近くの、ファミリイーでも扱っているそうだ。入館をすると、機械的な声と共に切符を切る手先を動かしている色白の若い女性に券を渡す。横四列に並んでくださいとの声が響く。ゾロゾロと牛の牛歩(国会議員も過去このような遊びをしていた時期もテレビの放映あったようである)で進む。だんだんと暑くなってくる。息苦しい感じもする。何か、ナチスドイツの捕虜となった人々が、ガスの待っている場所に、無言の集団と化し動いているようである。まだ着かない。旧居留地の建物などを観て、溜まり場に出る、フーーッツと一息ついた。”forward”ーあいさつ、、と白板に第一生命保険会社の御かげとか延々と書かれていた。MAURITS HUIS までは??????。非常階段を下がり、3階への階段を上がる。”足の悪いお年寄り、その筋の人には楽あれば苦であるかもしれないが、苦行の修行をさせられた騙しの悪徳業者に、はまった様な気もする。やっと観ることとなる、対面できた。女房に、一時、私のはめている眼鏡を貸した。このすばらしい絵画以外の昔の男達の絵画の展示されている事はは、意味もなく、無駄な用である。群居しておる日本人を掻き分けて、横の部屋に、”縄文時代の生活の展示”があった。入った。人はおらんかった。空気は澄み。静寂であり、これこそ誠に落ち付いた観覧でき、今。美術館の体を成している所に着た様であった。

Filed under: 良心の独り言 — yoshihiro 8:11 PM  Comments (0)
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