子供を独りのすばらしい人格者と思うことの出来ないボケタ悪質ある大人達

又もや、影でこそこそとする事を悪質な自分の趣味として、毎日の仕事の中で、私の権力その物は、誰も越権できないぞ!!と思い込み、他人さんから預かっている大事な国宝的存在である”お子様”に手をかけ、純真な日本男子の夢多き白道人生精神を破壊し、肉体に目潰して、幼い命を謀殺した。と、私は宣言する。テレビを観ていると何人かの教育委員とかの肩書きの付いている大人達が一列に並び頭を下げての一礼をして、それが彼らの謝罪のジェスチャーで、この大事件の一幕は終わったと言わんばかりの普通の顔の表現をしておる。シャーーしゃーと、自動車事故でのように、事故報告をつらつらとまじめそうな面をして話をする。私は、彼ら教育委員会の存在は、お客様である子供達へはなんの満足感を与えようとすることも出来ておらず。今日まで、滋賀県の事件等等,ただただ事が起これば、”すばらしい人格を持つ子供、生徒”を守ってあげることは出来ていない。そのための知恵と決断と実行は無形と化している。たとえの一つを言うと、今回の選挙では、”決断”決断”と言い放っている野田さんはそこに生きている人間のための”実行”と言う重大な二文字の事を軽んじた。”歩” は裏変えれば、”金” と成る事をも軽んじた。 「 自らの子供に対しても、心の勇気を思っての声を出して言う事の動作はしているだろうか?との現実を目の前で見ることもしばしばあります。。。」。

Filed under: 生命(いのち) — yoshihiro 7:08 PM  Comments (0)
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