薄っぺらのせんべい布団 で、彼と一緒に寝ました。 

随分と昔のことだ。住友金属和歌山製鉄所の試験課に配属され、当時は、高炉をボンボンと建て、経済関連のBOSSとして、政治家への言もよく言ってられた頼もしい”日向方斎”と言う社長は、私の系列の上司でもあった。私は、当初、朝は良く出社して本社前、近くに祭ってある神さまを掃除していた。ある日、伊勢神宮にある”修養団がする神都道場なるものへ会社命令で1月8日から行って来いというもであった。掃除は代わる代わるの朝、勤務始まり前に約30分ばかり多くの大先輩としていたものだ。何で?私が?もう一人の工場長(200数人の部下を持っておられる方)と?の、思いが直ぐに、脳裏を走りました。私は、入社のまえは、京都大学工学部の盛 利貞 教授の直属で研究員として冶金学教室の中で、実験作業をしてきました。そして、洛陽高校定時制卒業のとき、一応、盛教授が、国家公務員初級の試験を受けてみろとのお言葉があり、受けて、合格しました。高校の仲田校長さんは、「今まで、国家公務員初級合格は、たいへん難しいて、」と校長室までに呼ばれて、担任の、佐倉先生共々褒めていただいた。しかし、受かったんですが、内の私の佐藤家のお金の事情大変なので、公務員は当時は、給料は、民間の会社と比べると低かった。ので、私は、京大での職員は、無理です。と盛 教授に進言しました。快く感受くださり、それでは、和歌山にある住友金属の入社試験でも受けてみますか?と言うことでした。大企業に定時制卒業の人は、まー入社暦は無いと言う事でした。私は、ボランテイア活動ではJRC{Junior Red Cross}青少年赤十字部での部長、文化部長、級長位の、お山の大将では、社会の海原には通用せえへんで!!。と確信しましたが、盛教授のバックの応援もあり、入社できました。教え子が試験課(ここも200名ほどの社員さん)の課長されている所でした。ただ私を見る目が甘かったので、いやだった。いずれにしても、いま、修養団の主幹として奉仕活動に日夜邁進されている、蓮沼力太郎さん(お父様は、蓮沼門三99歳第一代の息子様,当時の宇部興産からの代表であった)と修養期間は冷たい五十鈴川に白衣を纏って早朝、一緒に首までつかりました。そこから上がった後の少し一杯の甘酒の接待は、ほんとうにおいしかった。一度は、会いに行って昔話に、よき時を持ちたいと思う年となった。いま、富士火災そして最近、new India insuaransの代理店をしている。今の、富士火災はAIG とかとの関係と一緒になるかどうか?AIG のトップのホーンなどと20年間のアリコジャパン当時、総会の時には、NY一年間元中曽根総理の社団法人日本人間能力開発協会の代表として留学しました多少の経験を生かしてツタナイ英会話をさしてもらったことはありました。何時か、AIGの外人さん、また、元アリコジャパン京都支店におられた戸国COさんともお話をしたく思う。平成19年6月26日悪夢のような脳内出血で69日間の入院。それからの杖を突き、愛車に乗っての、ペタルを踏むがすべりすべりの連続、いまは、30回にいっぺんぐらいの踏み外しはあります。早く、オートマにしたら!と言う人もいるが、これも、リハビリです。もう6年が来ます。しかし徐々に、OKとして生てきている。

Filed under: 思い出いろいろ — yoshihiro 12:09 AM  Comments (0)
トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:

コメントはまだありません »

No comments yet.

Leave a comment





(一部のHTMLタグを使うことができます。)
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

2024年4月
« 3月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930