色色老人の生きざま発見ソレゾレ==その1
”年寄りになったなー” と、その人は、自分を爺―、婆―と身体を観て等で、自らを認めてしまう。
60に為っても、70に為っても、それ以上に年を数えても、私のように、”万年青年だ―”と、鏡に向かってでも、そして会う人もー「佐藤さん若いねー!!、御年幾つです?」と日本人の決まり言わんでもよい挨拶言葉と、おせいじ言葉がある。 ギネスに載ろうか?と70からでも大学に入り80歳90歳近くで卒業をされている老人が時たま新聞に載っている。学長:「この勢いで大学院を目指してください!」 老人:「学費が大変ですので。。。」と言う事を返礼として答えられていたようです。大学という学問勉学の為に、我が人生の時を、精神と老いの肉体との戦いの中で無事に周りの多くの方々の有形無形の助けによって、一枚の”卒業証書”を手にした。その間、多額の金銭を費やしたであろう何百万円ものを!、良く病に会わずのことであったなー、幸運の方だと思う。自らの為、残りの時を使うシニア。私は、近畿大学通信課程法学部を2年生の時、今年3月31日付けで退学をした。其のことは、まず、学費の出費の多いこと、一科目スクーリングに¥8.000.-振り込み必要。授業受けの為の交通費など含めて、一万円ほど。参考本、講師の発刊したもの必要と成り、2000円~3000円も買わざるを得ないことと成っている。ある時、串本に妻と旅行時、「そんなにお金使って苦労せんでもええんと、後の僅かな人生、奥さんと楽しい旅行に行ったりして楽しんだほうがええなと思います。」と、他人に見ず知らずの方に言われた。私は、--ああー、そうだなー、科目試験をうかっても、何日かすれば、忘れてしまう!頭の中にほとんど残っておらん!。法学部の講師の問いにも、その先生の考え方にそぐわない論文で答えとして早く提出して終わり教室を出たことでも、可 で、ええ加減な採点方法だ、授業中に講師の言っていたことに、”これこれですよ”と指摘をみんなのところでして、訂正をしてもらったことことも、ちょっとあるのかなー??。論文以外の採点は満点で合ったから助かってはいた。 残りの我が人生を弱者救済の為にも時をも使おうと決めました。
自分の為に、持っているお金を使っているシニア達の存在はある。他方、80歳の矍鑠としたシニアの人。同年代の人々の為に、”介護をしよう!!、””ト思い立ち、その為の勉学に精を出し試験に合格して、免許証を得て、介護施設で自らの残りの人生を働くと、言う事をしているシニアがいます。高齢デアルトいう事での採用規制をつけずに受け入れる経営者も立派なものだ。
ぶらぶらと散歩の毎日。そして、毎日の行きつけの公園などに行って、食の不足を感じているだろうなチュンチュンさえずりしてくれているスズメとかハト達に、定期的な時間にパン粉などをふるまって、与えているシニアもいます。
人は、誰しも、自らの事を愛し、また、人の事をも思い、愛し等での人生。”健康と、笑いと、心ある事を。。。。。。