憧れのMAURITS HUIS

2013年の歳は観覧車の如く右回りを始めた。私どもは、1月4日に神戸メリケンパークオリエンタルホテルに一泊をした、930号室真正面の窓からネオンあでやかに明るく色彩を放つ観覧車がおもてなしをしてくれた。巳さんの絵の動きも出た。新年明けましておめでとう も、で た。飽きずに二人は12時近く楽しんだ。1月7日 朝7時から7時半の間にサンテレビで(株)オリオンのCMに出演する事の宣伝紙をこのホテルの人に、配った事をしたので、一つ安心感がある。明日は、市立博物館で今、私が販売している商品のラピスラズリ原石を粉にしての顔料を使っての絵画。なんともいいぇない色の輝きと品格ある女性の顔をいよいよ見に行ける。人の流れは、券を買うために約30分も要るそうだ。ホテルで買ったので不要。近くの、ファミリイーでも扱っているそうだ。入館をすると、機械的な声と共に切符を切る手先を動かしている色白の若い女性に券を渡す。横四列に並んでくださいとの声が響く。ゾロゾロと牛の牛歩(国会議員も過去このような遊びをしていた時期もテレビの放映あったようである)で進む。だんだんと暑くなってくる。息苦しい感じもする。何か、ナチスドイツの捕虜となった人々が、ガスの待っている場所に、無言の集団と化し動いているようである。まだ着かない。旧居留地の建物などを観て、溜まり場に出る、フーーッツと一息ついた。”forward”ーあいさつ、、と白板に第一生命保険会社の御かげとか延々と書かれていた。MAURITS HUIS までは??????。非常階段を下がり、3階への階段を上がる。”足の悪いお年寄り、その筋の人には楽あれば苦であるかもしれないが、苦行の修行をさせられた騙しの悪徳業者に、はまった様な気もする。やっと観ることとなる、対面できた。女房に、一時、私のはめている眼鏡を貸した。このすばらしい絵画以外の昔の男達の絵画の展示されている事はは、意味もなく、無駄な用である。群居しておる日本人を掻き分けて、横の部屋に、”縄文時代の生活の展示”があった。入った。人はおらんかった。空気は澄み。静寂であり、これこそ誠に落ち付いた観覧でき、今。美術館の体を成している所に着た様であった。

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京都の商人の中にもおりまっせ、”こんな腐り面えーー男”

新春年賀交換会、リーガロイヤルホテルで、京都4経済団体の主催で,開催された。ただただお会いしてひとつのご挨拶のみではあるが、握手をさして頂いたりの、恒例の日本式的な新年の、顔見である。私はいつも日ごろの苦労をひとつでも消すという意味も含めて、女房共々出かける。周りを見ても私のような者はいない、毎年であるが、、、、、?昔のご縁でもある堀場の会長、(関西経営管理協会のところで経営者の講演会を企画して多くの経営者様たちのお世話をしていて、帝国ホテルのエレヴェーターの中でお話をまじあわしていただいたあのときから、この時はちょうど妹の敬子が電話交換手として採用されて間もないころであった。そしてあつかましくも、洛陽高校定時制の総会のときに、’’イヤならやめろ’’の本を世に出されて大変にお忙しい時に{ご講演のお願いをしました。秘書さんを通してで即刻快諾でした。そして早速御礼にお伺いをしました。今もあの時のことを大変感謝しております。多少とも妹の敬子のお陰でもあったのだと思う。又、渡辺副会頭さんのお顔が見えなかったようだった。彼とは、何か熱い電波があると私は思っている。昨年、会場で、軽く、傷害保険の契約を少しでもということで、お願いすると、していただいたという事となった。ただただ、残念なのは、、このような有名な方の契約にいたったことを、担当者に、話しをしても会社の上司も、”あーーよかったね、すごいね!!とかも、なにも無い”。なんとも変な心の動きをしている会社である。

主題に移ろう、、。そして軽食の時となる。 並んで。おでんを、卵 大根 がんも 豆腐 をお椀に入れる。からしを取りにお椀をその手前において一足先のところへ取りにいく。帰ってきた。私のおでんが入っているお椀が無い。????、、。誰かが取って行ったのである。私はあまりの不思議さと驚きとが交錯し声が出る。「あれーー、私の置いてあったおわんのおでん無いでーーー!!。京都の男はこんなもんやなーー、誰やなーー?。」 だーれも返答しない??、こんな大きな声で言うてるのに、大阪の商人だったら、「あーー、これでっか、すんまへん」とか言って事は終わるんですけど。この京男の腐り面商人メ!!! この現実。  =====人は格好と顔ではありません======。。。

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山あり谷あり落合のところあり

落合監督が日本野球界から退場した。彼は、本日の読売新聞の朝刊誌上で、自らを”初老”という歳であると言ってぃる。

”映画館の右の後ろで女房と映画をみて、温泉にでもいきます。”とも言っている。この事はそのひと時の事でありたいものであると願いたい。現役の時には、多くの輝かしい賞を獲ったと言えるスーパーマンでもある実績ある人である。もう一踏ん張りしてほしいと思う。芸能界では、加山雄三さん74歳。多くの愛する野球フアンは、あなたの日本的な野球采配を期待と楽しみの感情を抱いて、早く、私たちの茶の間の桧舞台に、登場されることを、待っています。それにしても、日本シリーズを戦った男を首にする球団の男達に何をどのように思い考えても、おかしいとしか言いようがないのと納得がいかないのである。

又,日は昇る.  又、日は西に落ちても、

又、日は東より、輝しく,昇れる 落合球。

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BS11”BS日本のうた”を視聴して思うこといろいろ

私は、元来、歌系は好きである。まず歌以外の番組で最近耳が痛くなってきている一件がある。最近TVの内容も、うなって喋る風潮あるアナウンサーや、キンキンするvoiceある連中が、当たり前のように画面を席巻してきている。声の品格も堕落し、そのまま裸の王様の振りをして、「外聞なんか私の世界ではありませーーん。」というような人の集まりのTVが多くなってきていて、少しであるのかどうか?若い層のproduserたちの血管が詰まってきているんとちがうかなーと思う。

そして、掲題の件で述べたい。若者の歌手たち、音声は、耳のさわりはプロだから普通。しかし、私の心を響かせることは出来ていない。歌の心を吟味して、歌詞を創り上げた先生の心の魂があるのだということを理解することなく、心の訴えある流れで無く、口先でのみの美しいであろうと思っている本人流の声の色も一色で、声にも七色の世界を忘れてしまったカナリヤさんとなり、マイクの前に立ち、服装よし、化粧よしだけの魂の入っておらん歌い手では、熱い心を持って視聴しているものとしては、楽しい時を潰れさせられてしまう。シニアの世代の、橋幸夫さんたちの歌唱力ある心の魂の声は、心の底に響いて来る。前夜のTVでは、五木ひろしさんの番組を視聴しました。人生の塩を舐めてきた経験をしてきた男の話を知りました。そして一層思うには、人の歌手の持ち歌を歌う時は、人生経験まだまだ不十分な若者歌手には、歌ってほしくないと思う。イメージを大事にして生きている世界であるから。

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SKYふれあいフェステイバルに行った(その2)

会場の横ベンチに座っていて、ある老女性と話をした。「このスカイに入っていますの?」。「いや、入っていません。いろいろの広告が入つていたので、亀岡から車に乗せてもらってきました。」とにこやかに話をされた。この会場の中に居る人たちは非会員も多く来ているのだ、と思った。中では、各地名産食料品の数々が売られていた。私が行っているスーパーマツモトの値を比べてみると、かなり高い売値であった。茄子二つで¥150、葡萄少なくて¥800(スーパーでは、¥390くらいである。)などなど。値札も、¥500とか1,000円とかの荒い、心薄い値付が良く目に付く。シルバーでは、そんなに裕福なる生活の出来ている方々は、ほんの一部だろう。このSKY に入会している老人たちはお金持ちと言う層の方々が、暇をもてあましての方々ばっかりだろうと言えるのだろうか?。今後、シルバーの人口は、頭でっかちの構図となるだろう。お金のかからない組織を作れないだろうか?。知事などの退職金は何千万円であり、府市民の税金より吸い取って何も反省をせず、自らの老後生活を、悠々と生きながらえる人間も居るのだ。老人生活の格差は、”お金”で決まるのです。官僚たちは、税金からで、生活は出来ているのです。”民主主義の時代に生きているのだ”ではあるが、生活の台所と言う場所においては、いまだ達成満足はありません。私たちのSKY、本当の、青空、青空をRebirth,再生を、まだある人生の中で団結しましょう。

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SKY ふれあいフェステイバルに行った。(その1)

シルバーの方々が多い。会場内の事務局もそこそこの方々がボランテイアとして活躍している。私と妻とで長崎を訪れ、世界平和の座像を撮影した。それを展示しているので、確認にも行った。”シルバー美術展”のコーナーの一箇所にあった。ここでもシルバーの男女の方々が受付に当たっていた。私と妻も入会をしている。一人年会費¥4,000.-、夫婦で入会をすると妻は\2,000.-となり夫婦で¥6,000.-の年会費となる。演台上では、ハワイアンのウクレレ演奏と、お揃いのハワイアン衣装を纏って舞いいている。シルバーの女性の、あの衣装は、高かったのだろうウなー、と、”ふっと” 、今のご時世、少ない年金生活で暮らしているシルバー(老人たち)の多くが存在していることをTV等で見たりしていることを思い出した。 今この会場でいろいろなプログラムに参加される老人たちがいる。何に参加するにしてもその前に走るのは、、お金が必要で、そして”時も”必要となる。又、お稽古をするにしても費用は必要。これらの上に一番必要なのはこの会場まで自家用車で運転も出来ることでも必要なる ”身体健康””精神健康”と成る。表的に、晴れやかな華やかさを装いをして年に一度のパルスプラザ催しと成っている。一方、老人年齢層においても日本の政治力は、まだまだ対シルバー生活にしても、又、子供たちにしても北欧などに比してみても、未成熟、未発達な域に存在していると思う、、、、、、。期せずしてこの催し物の9月18日(土曜日)、19日(日曜日)を前に会費継続の更新をされるのかどうか? 伺いの手紙があり、重なってはいる。この財団法人京都SKYセンター、{わたしはSKY、スカイ、なので、「青空」と言っている。}の中では、いろいろ多くの会がある。興味がある会があれば、入会費などをそろえて、又お金と時を費やして、自らの一度の人生を掛けることとなる。この会の一番偉い人は、京都府副知事と言う肩書きの方だそうだ。私は、平成19年6月26日に蚕ノ社の近くの社会福祉会館でハワイアン演奏のウクレレとボーカルをしていて突如左側に雷電の如くが響き、脳内出血で崩れ横になり車椅子生活を69日間。その後今も左側に、痺れが残りリハビリ中、しかしおかげで、元気に車の運転も出来る。病を持ち活動の出来ないシルバーの方々は多く存在していることでしょう。ーーーtobe continued——

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こそこそ、わが身年寄り大事生活しか出来ん!!

毎朝、近所、山野、畑、田んぼの道脇、坂道をテクテクと歩く。脳内出血を、平成19年6月26日、午前11ごろに京都市の福祉会館、蚕ノ社付近にあるところでのハワイアンのグループで唄いウクレレを弾き終わってから、急に左側に雷のような電撃が走り、ゆっくりと沈む横たわる。先生や皆さんにも助けられ、救急車に運ばれ、車生活となり69日間病院生活。その後は、家でのリハビリ生活を余儀なくする。今も散歩を欠かせない生活だ。あれから早3年2ヶ月が過ぎようとしている今日。今日は、ゴミ収集日だ。京都市が売っている45リットルの黄色の袋を45円で買ったその袋に生ゴミなどを詰め込み出している年寄り男が居た。そのゴミ袋をその上にカラスにゴミのいたずらにあわないために網をかぶせようとはせず立ち去った。その側に四十くらいの女性と母らしい人が立ち話をしている。そして、女性二人は後部席で、年寄り男は家から車を出して運転をして、この暑さから逃げる如く、車内では、ペチャクチャとのおしゃべりとの様子で行ってしまう。その後にゴミ袋二つ持ってきた年寄り男が又、公道の側においた。これで3袋と成った。網を載せない。私は??思い、只、今言いたくなったこの年寄り男に!!。「ゴミの上に網をのせんと私もカラスに散らかされて、大変苦労し、大変でしたわ!」と、彼の側で立ち、言った。その年寄り男は、45リットルのゴミ袋の口を閉める途中であったが、座り込みながら下より細い目の形をしたその目で、ニラーッと私の顔を見る。何も言わず。私は普通この私の言葉を聴いたあとならば、「あっ そうですなー、その網おかなあきませんなー」とか何とかの声が軽く出て来そうでもなかった。この年寄り男もそこに放り置いて去った。今まで生きてきた年月日、何をしてきた人なんでしょうか???と思う。正義の無い人生、偽善の人生道を只、自らの子供や関係する人々の前でのみの時を過ごすことに、汲々して来たのだろうな。人生の終末に来て、、、、、、、、、、、、、、、。

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お疲れ様です。

この言葉。良いようで、よーく、顔を近付けて見ると、ぞーーっと、背筋が寒くなるような物を感じるものを抱き合わせている。使う時と、そしてこの言葉を発する人へのタイミング、友達の間で使うのか?又、職場などなどでのその環境の中で冷たくな非礼な物として、相手の心を無常そして無残にも切り捨てるものと為る。仕事の上で、「お疲れ様です」と、いつもお世話になっているお客様に宛てのfax文で、、唐突にも、ドーーン と「お疲れ様です」を受け取ると、普通の人間では、”なにか、バカにしておるな!”と心の底からフツフツと出てくるでしょう。一般常識人であれば、「平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます」うんぬんの巻頭のfax.文と為ることでありましょう。友人間のお付き合いの間柄では、同僚間、仕事を引ける時にも、軽く「お疲れさん」とかは、いいでしょう。 {今、どのような立場で、ここで、お客様がおられることで、仕事も出来、お給料もいただけているのだ。}という”心の感謝の魂の抜け人間と生り下がった物}が、只職場で、動めいていると相成っている。私は、非礼なこの文を受け取り、早速、会社の執行役員、東京、に電話して言った。彼はさすがに「おかしいですね、この言葉は、文は、職場の仲間の合いだで使うものですよ。!!」と言ってくれて、所属の京都支店長に電話をしてくれた。するとこの支店長から私に電話があり、彼は、シャーシャーと、「わたしは、きつく怒られたんですが、”お疲れ様”の文なんてものは、別に遺憾なものでもありませんよ。!!」で、あった。何かが、間違っているのだ。大岡越前の守さん早く出てきてほしい。あんたの肩に描かれている”桜”を早く早く見たい。今日の株価は111円と下がり続けている。私は、昨日400株、113円で買った。文、言葉は、人を不幸にもするし、大変良い幸福な気持ちにもするのだ。””両刃の剣とも成る。””とも、、、、、、、、、、、。

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