にこにこ笑顔で、なにをしても にこにこ笑顔

うす暗い夕方の一時、高槻からの友人Kからの電話をとった。「今、四条烏丸に来ているんだ!。」声のはずんだ響きは、私の少しボケたような耳の神経に軽やかな音として到達する。「よーし、わかった!今から市バスで1時間ほどで行くし、近くの大丸の中に入っていて時間つぶしてくれるかな―?」 「よっし、そうする。」中信の本店の西側にある安コーヒー店(チエーンテン)は、K氏にとっても彼の阪急線にも近く、私にとっても市バスの停留所にも近くトいう事でそこに決めた。いつものところは、”ドトールコーヒー店”、大丸から少し東側歩く所だ。対面的に接客をし、コーヒー―もうまい所なのだが。。。まずここ、白い色で統一した椅子席と、女性店員達の飲み物等を出すときの高い上から目線、お客様は下から目線を上げるという嫌な場所成っている所なのだが。。「アメリカンとレギュラー一つずつ」と依頼する。聞こえなかったのか 「なんでしたか?」と、にこにこ笑顔で又聞きに来る、にこにこ笑顔で。素直に、もう一度同じことを言うと「アメリカンとレギュラーでいいんですねー!と言う。そばに立っているベテランそうな女性店員が、私の難しい顔を察時知ったのか、「この子昨日、入って来たばかりなんです」と、言った。にこにこ笑顔して、カップが出てきた。どちらがアメリカンか解からないので、「どっちがアメリカン?」と、ベテランに聞く:台形タイプ小さいコップのほうだという、そして、「先程、お湯を入れて作りましたから間違いないです」という。ドトールコーヒー店では、カップの大きさも違うし。。。この店、量も無いし。。。と思った。二人分千円をだす。お釣りは、明細シートと400円が手のひらに乗った。????おつりは、480円と明細シートは載っている???が「これおかしいで?、80円たらんで―」と、言うと、にこにこ笑顔で新人は、ス――っと80円を出して其の後もにこにこ笑顔をしてただ立っておる。なにかがおかしい!!。ーーどうもすいません!!という一言言葉が無い。若い最近入社の女子は礼節、礼儀とかは欠如して、ただただ”にこにこ笑顔で、ええんや!との心でお金をもらえるのやと思っているのかーー。

水を入れる紙コップもドトールコーヒー店より、すごく小さいし、¥260は高いドトールは¥220で飲める。。トイレも何か旧式的で、触るところも不潔的である。女店員たちは、目玉クリっとの見える化粧はうまくやっている。まずは、経営者の心が濁っているのだろう―と思う。こんな商売をしていたらいつかはつぶれるだろう!!!。と思う。

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 4:59 PM  Comments (0)

シニア シルバー 老人が ひっくり返った

今日は猛暑の5月19日昼前時、四条カド野大路東入るの京都銀行前の通路で、色白の薄毛の小柄の老人が、後頭部を打つという事故があった。丁度横断歩道を渡りきったところで、おばさん、女の人が、身体を抱えていた。老人男は、立とうとしていたが立てないようだ。彼女たちでの介護をしているので、大丈夫だと思い、ATMで通帳の処理をして外に出ると、二輪を歩道に置き、若者一人が、通路に座っている老人を、ささえている。私は、咄嗟にこれは??ト思い近寄り、「だいじょうぶ?」と、声をかけた。太陽のきつい照りが容赦なく照らす。若者は、スマホを持って、「ここはどこですかねー?」と、私に尋ねる。場所を言う。スマホに入れている。「早く救急車を早く呼ばなあかんで―、119入れてしいなー」との私の一括の声に従い119を押し、わたしの先程の言うた場所を喋っている。間もなく早いもので、3分ほどで、サイレンを鳴らしてきた。 緊急の時の、するべきやるべき動作!。なにか?だらけている。”救急消防隊の一員をしている”とも言っていた男.   先ほど京銀内では茶髪の若者と一緒にソファーに座り、短い脚を伸ばして座っていた女の子の足その前を通過するのに引っ掛かりそうなので、私は、其の態度悪い其の足を「じゃまやー」と言って下げてもらうように、蹴りました。何も茶髪の男も女の子も無言であった。。。。 シニアだ、シルバーだと、英語で呼ばれている日本の高齢者たち。そして今、超高齢者とも、呼ばれて、言いだされた男、女、ある病の一つもを身心に持っていて生活をしている。お金の事も不安を抱えての残りの人生を生きているのだ。

その時、頭をよぎるのは、国会議員では、100万円交付されて、領収書は要りません!!。と、島根県の出の石破とかいうバカが提案したそうだ。私ども、庶民は、国会議員でも庶民だろう!!。なにか?峨狂っている。共産党でも???と発言しない。国民の税金ではないか!!?。USAでは、トランプさんが若者の支持を得ているようだ。政治屋での頭では、どうも!!”今の世間での”  ”生活現場を本当に理解できていない国会と成っているのであろ!!と思う。お金を思っての行政魂に為っている。寺の高僧も、ブクブク太りしている。倫理は、消えつつあるように思う。

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 1:55 PM  Comments (0)

  とらふぐ弱小一貫を提供した”くら寿司”の経営魂胆

今日は、天候好し、午後3時頃、お客様との話も終り、昼飯はまだ終わっていない。丁度の頃、外大前の、くら寿司が見えた。”少しおなかでも膨らまそう!”。との決意で、立ち寄る。駐車場の車は、まばらだ、3時頃過ぎともなれば、もうお客はほとんどおらないのは、当たり前である。顔の良さそうな女子が着席券を手渡してくれた(私が、カウンター席は、”嫌だ”と言ったから)。ナンバー31:受付カウンターから5歩程の所丁度、トイレのドア―の前であった。私は、”こんな席嫌です!!。”と感情を含めた大きな声で拒絶をした。中から、「どうなされたのですか?」と寿司を握っていたであろう職人兄さんが出てきたので、これの事を云った。直ぐに着席券を変えてくれ、17番の中ほどの席に座れた。

目的の、今、くら寿司では、ふぐ寿司キャンペーンをしていると京都新聞に載っていたので、まず、”とらふぐ一貫をポンポンと画面を押して注文する。しばらくして、ス―――と運ばれてくる。ピ――Pィーーと来たことを知らせてくれる。2皿分と相成り¥200.-である。、取り出して、びっくり??!!””。  新聞上のとらふぐ寿司の紹介は、其の時虫眼鏡で見ていたのか??との錯覚を起こすくらいでとはの、とらふぐの皮のかぶせては乗ってはおらず、小さい小さい”とらふぐ” ト言うより、子猫ふぐの赤ちゃんのふりをしている。その辺にウロウロしている女の子を手で呼び、「これどう思う?!!。小さいなー?。、、、、店員女子「ほんとうですね!。小さすぎますねー!」と同情をしてくれた。ここで、一人くらいのお客でのうなりのパフォーマンスしても、仕方ないと思ったので、この、弱小、縮小で手握り仕立て上げられた ”とらふぐ一貫”と言う物を大人しく口に収めた。。

多くの人がわからないのであれば、1プラス1は、2で無くても、其の時通れば、時が過ぎ去れば、頭を下げておれば、どのような世間の風が吹こううが”大丈夫”トのいやしい心のおっさんおにいさん、が大なってきているように思います。ーーー私、一人くらいの客、天下の、くら寿司は、潰れへんでとーーーとも思おているのでしょう!!。

 

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 6:46 PM  Comments (0)

京都青年赤十字奉仕団 OB 同窓会 の酒宴席の???と欲心

毎年、誰となく幹事が決まり、あの、ハツラツ青年若者の時を思い出し、”やーやーげんきー!!”で、又の友情を温めるという事ではあるが、年齢層の幅が昭和32年ものから昭和50年度とあるので、最近となると、高齢の層は、何故か?暇なのか毎年の出席率が高い。反対に一度の出席をした50年度近しい人の出席が、無くなっている。今年は、”宇治川旅館”と言う京阪宇治駅から橋を渡った所での場所である。会費は¥8,000.-で、椅子に座っての宴席である。元日赤職員S  と大阪日赤職員I も、OBとしての名があるので、久しぶり顔を観ることとなった。私は、定時制高校の時は、JRC(青少年赤十字)のクラブの部長もし、アンリージュナン、赤十字創始者100周年記念事業にも京都代表としての参加をしました。その後、和歌山に行っていたのでの奉仕団入りである。 席の右横に、同じ洛陽工高定時制卒業のTさんとの初顔でのいろいろな話ができ、楽しかった。この事も奇遇である。そして、

Sの突然の話が飛んでくる。「朝は8時に出勤して夜は、8時半ごろまで働いていた。ブラック企業やで、京都日赤支部は!!。」赤黒い顔をした酒の回りきている様子。が、続くー「もうー、わしがいる時には、一人自殺し、一人は身体をつぶしよった!。そんな過酷な職場やー。けど、誰一人も止めてないんや。」そこで私は、「そんな職場だったらすぐに辞めたららええのに、何でや?、勇気がないんかー?私だったらすぐに辞めるけどー。」 Sは、「それは、日赤に、それなりの魅力があるからです。」ト言った。??!!。。。 そんなんで話をI君に向けた。

Iは、S県に妻を置いて、一人単身赴任と長年管理職をしている不遇な男であることを知る。昔の面影は少し目の周りに残し、あとは、腹が出て、頭は、男性ホルモン充分ありまっせである。私は、「奥さんをこちらに呼んだら―?一か月に一回ぐらい帰っているの―?」と問うた。I「一回も帰っていません。子供も大きくなっていますし、もう、よろしいですよ!」 私「そやけど、奥さん寂しいでしょう!」う!。」そのあとは、彼の解からん発言であるので記述を控えます。。==””隣人を愛せよ””、隣人を愛せよ””、、君は!何所で働いているのか??。===。

宴席も深まり、一応,あらかじめ幹事に申し出ていた、私のまだまだ芸の不十分な”腹話術をいく太郎とめいめいした人形とやらして貰う事をした。内容は、{政治家:府知事の退職金:大阪府知事は0、対して、赤字を抱えての我が街の府知事は、市長も、会社の形態ではそんなひどいこと出来まへんで!!!。何千万円もー}、もう、天国におられるお偉い土光さん、松下さんなどに、無礼な人生しておりますよ。}の事など短いものであった。終わった後、あんまり評判は良くないような雰囲気であった。今、熊本県、大分県大変な時、忘れてはいない、寄付を募ることをしなかった。時は流れ、別れの時が来て、又、会う日まで。

京都3区選挙速報を確認する。民進党が勝った。大きな民衆のお金が政治の世界で議員達は多額な庶民とはかけ離れた報酬を毎月貰いしている。今、この様な、贅沢なお金の使い方!。”身を切る事”自らの報酬を減らしてすると大阪維新の会が、子供の為への心出費などに使う事が出来ます等。残念にも金勘定の薄い人たちによって、”京都の出てくる料理のような、お皿は大きくて中身少ない、飾りで誤魔化し味舌好みの塩気味血管には良くない”実態が現実化した。8対2程の票の違いであっただろう。

”汝 自身を知れ” を、今の、この時代の、自らの生活はお金が無いんだよー と 言ってて!!。解釈と分析力無く、浮かれ言葉におどり好きな、ぬるま湯の中の蛙さん達の選挙結果を呈している。と思います。親は、子供の為に頭を使って生きなさい。すずめもいまの時、巣作りくちばしにいっぱい藁をくわえて飛び立っている光景を見ます。。。。。!。

 

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 10:42 PM  Comments (0)

高浜 1号機and 2号機 老体に鞭を打つ!!!

誰が!!、合格と宣言したのだ??。。。声明をした其の人のことを世間に公表してほしい。責任者の所在を明確にして、もし?、放射能の散乱事故時、処罰は生まれるのですから、。。。法治国家、日本だから、。。。

40年の長き時を迎えると、特に、放射能という怪物との戦いで、金属は疲弊しているとされての、””廃炉””と学者は言われ、関係人達での結論が存在している。 「新しい基準??。。???。での審査がOK取れましたので、まだ、動かしますわー!、と、who  said??. ””声なき声の進行形。”” 人間もある年ともなれば、肉体も弱りと成り、内部での血管の状態も、若いころより*傷多くはあり、血圧も高くにありである。人間の血管と同様に、原発の圧力容器は、長い年月を経過してでは、いつ!!内部圧力には耐えられず、人間に於ける””脳内出血”に至るのか?と、大変心配である。”金属疲労”トいう事なのだ。多少の知識は、実際現場体験としては、前の、ブログで少し記しました様に、青春時代の荒松製作所、住友金属試験課での現場体験からです。

きっぱりと不純な心の思いからの行為から、絶縁するべきです。あなたは死んでからでも、子子孫孫は不純な歴史を背負っての多くの事を悩み、苦しみの人間世界を観ることとなるでしょう。!!!。

人間は、何のために、産まれ生きているのか? 生活のお金の為だ!。トいう人。少し欲を落としてでも出来ていた人間生活の時、今の世の浮かれた風、TVでのCM、日本語もしっかりと喋れへん司会者、出てくる人達、歌う人。 泣いて苦しがっている弱者たちに、高給を貰っての与野党の議員さん達、身を切る活動をしなさいよ。口先だけの間抜けジェスチャーは、要りません。

昨日は、私はタレントの一人として、車椅子に載ったり、押したり、スマホとかノートパソコンをたたいての等、仮の妻役の方といろいろなポーズを撮りで、室内で川べりでのカメラ撮影の初めての経験のお仕事を楽しくやらせていただいた。スタッフの方々も大変であっただろうと思います。ありがとうございました。1400枚ほどのシャッターをきられたそうでした。朝の8時半から18時ごろくらいまででした。天気も良かった。

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 5:52 PM  Comments (0)

想いやり 京都、コンサート ホール、まだこんな心での仕事するの!!

2015年5月30日、”冷やかなお出迎え”京都コンサートホール!、1階ロビー!!。での、ブログを書いた。大変うれしい電話。多くのお疲れの方々の為に、やっと長椅子1階のロビーに設置するとの事で、20年来の事が出来た。とのことから、約、5か月を経て久しぶりに、コンサートホールで竹中 真 さんと言う人が、ジャズを弾く。クリスマスも近ずいているので、私も好きなジャズで女房が500円でのチケットを都合していたので、随分、前での事件、”長椅子の設置”、どんなものが在るのだろう?との、確認も兼ねて出かけた。

ロビーに着き確認をした。3人用と言っていた山本事務局長さん。其のとうりであった。しかし、なんと、粗末な鉄板張りの鉄骨作りにクリーム色の塗り上げ、座ると、お尻が、ジワーッと冷たくなる。一緒に座っていたおばさんは、「お尻が冷えてきた」と言って,立たれた。「座るとこだけでも、木にしてもうたらええのにねー」と。。。言っている人達もあった。 私も、健康な人でも、こんな無責任な他人への想い少ない作りに座って、痔病でもなったら、””京都市の大恥””だと思う。宇治市のコンサートホールのお客様へのの想いあふれる長椅子は、こんもりと温かみのある座り心地良い、と成っている。

そんな思いで、ピアノ演奏を聴いているからでもないが、26歳の時USA N.Y 1年間居たでのジャズを聴いていた耳が不満だと囁く。それは、大変多くのすばらしい肩書をお持ちの方であるが、黒人さん達の生活の中のジャズを聴けない。ジャズ特有の柔らかを出すピアノの音色、流れる音色を出しいれていない。堅い音の流れでの曲で日本的アレンジ。 スースーと耳元で音を聞く。あの音の好きな女房が寝ている。肩をつついて起こした。盆地での生活で、一つの”だまし”は、行けるでしょう。

 

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 6:55 PM  Comments (0)

LOUVRE に 往った

LOUVRE なんと耳障り良い響きのある名声轟いている言語だ。私たちは、その事で、心惹かれて,炎天下の11時頃、妻は、私のあげた”ラピスラズリのネックレスを久しぶりにして出かけた。京都の夏は、地形からして盆地であるので湿気の熱いものがたまりやすい夏。又、冬は、ド寒くなるところである。バスに乗ってから、「ネックレスがない!、」と言ったがもうすでに遅し、バスの中。大覚寺のバス停か、はたまた、道端あたりか?、家の中でか?であるということになる。この件は、帰りの時でのバス停付近でも無かった。帰りの道端でも無かった。家の戸をあけての最後の希望も消えた。、、と、いう事で終りとなった。大覚寺のお土産物店にも何も届はなかった。”日本人は、落とし物を届けてくれる良い人間である” という宣伝は、嘘である。

京都市美術館に着いた。多くの人、人が入場料大人:1,600円、切符を貰う為に延々と列をなしている。私たちは、家のほうで既にタダ券をいただいていたので、すぐに横から、入場することとなった。中に入る。「すみませんが、トイレどこですか?」と、暗い黒色の服を着ている係員に聞く:「丁度、この会館の中ぐらいです。」そんな馬鹿な―――。歩を運ぶ、500年前ほどの絵画展示である。しかし、私には、ドの絵を観たって彩色も変わりないよう!。暗い絵筆の運び。現代のような、明るさを出せていないよう。今の社会の中でも、暗い腐りかけの絵を描き、誇りを持ち、悦にいっ

ている男も女も存在している。そして、いろいろと混雑の中観て歩くがあの当時の脈々と流れている時代の圧政の中での生活をさせられた様相を感じ取る。が、その中でも、”労働と日々”-商人、働く人々、農民” の、sectionのマリヌスファン レイメルスウアーレ{徴税師たち}:、彼ら、二人の何とも言えない憎らしいほどの税を獲るという顔の表情は、心に響いた。そして、ヘリット ファン ホンホルスト{抜歯屋}:あの時は、今でいうペンチなるもので、患者の歯を、患者が暴れんように押さえて、抜くんですな――。--その時代に生きておらんでよかったー、と思う絵画である。

人の心の動きは、衣食住、の中で、男と女との心の流れの具合というものも、誰かであろうと,古今東西変わらない物ではないだろうか!!!?、、、、、。。。。。 産業会館で、市バスを降り91番を待ちすることにした。”あれーーっつ”歩道の端に30cm程の幅の長さ1M程の目立たない、お年寄りの人のため、足の悪い人の為のもの、一切撤去で無い―――。なぜなんだろう????。産業会館の前のコンクリートの上に、ハトや燕やスズメが電線に停まっているように男女老いた人は座っている。私も、空いているところに座って、お隣の老女に「前に在った座る椅子無くなっていますねー!」 「そうですねー、仕方ないしここに座ってますねー」私:「もうーシルバーもおおなってきているのに、何でこんなひどいことしたんやろうーね?。」。。。バスが来たので、会話はそれで終わった。

わたしは、この件、先日の京都コンサート、1階ロビー長椅子事件と似通っているようだ。明日、バス関係者に電話をしょうと思う。

早速、朝に9時10分ごろTELした。すぐ動いてあの現場に確認に行くの姿勢の声では、

無かったが、それで、先日の京都コンサートの事などを話すと、すぐ確認で行くとなった。その後TELある。祇園祭の為に撤去していた。今日昼から元どうりする。であった。なぜ?。祇園祭りの為で、どけないかんのか?置いておいたほうが、シルバーさん達の為にも、障害者、足の不自由な方にも好都合ではないのか?!!。そんなに場所取っておるようなもんと違うのに。!!??。ちょっと?、おかしい事するねー??。何か!!、ここにも人間不在の、カッコウーエエーの好きやんーの悪い癖が、出ている。

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 6:39 PM  Comments (0)

冷やかなお出迎えの”京都コンサートホール1階ロビー!!。

本当に、久しぶりに”マンドリン演奏を聴くに行こうと決めた。マンドリン演奏は妻の父(フィリピン戦地から多く戦死した日本人兵隊たちの中から二人と生きて帰ってきた強運の妻の父である。その後、マラリアを発熱したそうだ。そして、死ぬまで、家庭の中では戦争の戦地でのことは一度も、喋らなかったと妻は回顧した。私も、その優しい音色は好きである。今も、相変らず家庭のお茶の場に勝手に人一人の命を殺しているTV番組や、お涙頂戴の平和の中を毎日満喫しているのに、悲しい歌を歌っていたりのバカらしい歌手達から離れる心情を作るためもあり、まず、植物園にバラの咲きを鑑賞して1時半始まりでのマンドリンの為に、早いかなー?とは思ってはいたが12時半ごろに着いた。これは本当に、音楽ホール?冷やかな、冷たさのみしか感じえない、がらーっとしている。仕方なしにも想うような飾り毛もない場所である。奥のほうは床には四角な柄が一面描かれている。円柱のアルミか鉄製か?広い部屋に立っているだけだ。外人さんが疲れたのだろう、地べた座り二人していた。コンクリート壁にはプロの歌手達がワンボードの中に窮屈な感じで貼ってある。他府県から来たという多くのご婦人達も、この1階ロビー座る設備一つない”こんなとこ初めてですわ”とワーワーいうてる。私は、”””京都でのお客様のお出迎えは、暖かくほっこりとするような物なのです。”””と、門川市長達も、言っている。が、何かが、狂っていると思い、この会館の責任者と話をしたいと申し出た。しばらくして、山本ひとみ、事務局長と、改善、”長椅子を設置する”事を言う。、時代は、高齢者、身障者も増えた時代となった。頭をチェンジせんといかんと説いた。彼女は、””長椅子、ソファーなるものは、1階ロビーには不釣り合いだという。座りたかったら、1階の喫茶店に行ってください!”!という。しかしこの件については、彼女が出てくる前に、職員だという女性に聞いている「いままで、何年も前から多くの方から言われています」と、???>。なぜ、お客様の御困りごとを、真に心からの仕事をしないのか?。私は、頭にきて、四条中学同期の今年○○副大臣になった彼に、現状を直してほしいといった。「いうときます」であった。3階の会場前では、入り口は閉まり、椅子さえない。多くの観客は、約30分程、立たされている。私は,いまだに19年の脳溢血の後遺症もあり左全体足もしびれてはいるので、事務机と椅子が2脚在ったのでその1脚に座った。めざとく肥えたご婦人が「私、足が痛いんです!。それ座らしてくださいと、近寄り、座られた。シルバーの事務員が何の用事もないのに変な感じで成ったということになった。””弱者救済に団結しましょう!!。あなた自身を守るために!!。””。

!!!上記の事は、以下のように歴史はCHANGE しました。!!!。

😮 大変うれしい電話あった。京都コンサートホールの山本事務局長さんから、長い出張帰り、本日、ホールに身のお疲れの方用としての居座れる用度品椅子など見積もり取っています。と、またお体不自由な方を事務員目にわかれば、直ぐにも座れるように用意するように全職員に今、指示しました。ので、、、とのことだった。ーーーこのことは、弱者に対しても20年間もの放置されていた事の、一つは、人間不在感覚アリ。で、一人の私から、回りの情のある方によっての改革になったことで

成し得たのです。あたたかい京都やねーーー。またまた、来たいね――。と、ひと時のこの場所を楽しめる事、感動します。

 

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 6:58 PM  Comments (0)

ISAK に 思う

一主婦が私学の高等学校を軽井沢の静かな森林の中で、多くの人からの”寄付”からで設立をした。

大きな努力の結果、実を結んだ。一途な結実となって美しい大きな建物も出来、外人の講師も揃った。

校長も、外人さん。授業料は、Richな家庭の子供でないと入学できない授業料:400万円程。その半分余りは奨学金制度もあり、給付制度となり、返金不必要となっているが、選抜されてのことである。

立ち上げた彼女は村上龍とのTV対談で、「私は、表に出ず裏方となってやります。」???。しかし、この学校の”校長”となって、自らの、念願の想いを進めないのか?、何か不自然な組織体制に心の中に不満を生じた。国際交流としての学校。そして、リーダーを養成するのだ!!。と言っている。

このことの関連で、25年も前に少し思う処では、京都の岡崎近辺に、国際交流会館というところ、多くの世界の青少年が勉学し心の交流をも目的に集まる館です。。週一回午後の6時ごろから約2時間ばかり、”日本語初級教室”と銘打って,私流での授業をしました。それは、理解できないときは、黒板を使う。それ以外は、お互い、日常の想いとか、各国の宣伝とかを話しします。そこでは、まだまだ意味わからない言葉が出てくれば、まだまだ不十分な方には黒板を使って教えたりしました。

その中で、中国よりの、青年は、食事は1日に2回朝と晩だけ本当に、パンだけとかの少ない量です。、、、。「なぜ、おひるたべないの??」と、聞きました。彼は、「日本語の勉強の数時間もったいないから」と返事しました。今の、日本青年に匹敵する心の使うのがいるだろううか??  とその時、心を射しました。熱い気持ちを持ち勉学する。同じ同世代でも、いるんだ。と知りました。

 

私は、{リーダーになるにわ}については、私の思いはあります。今からのことは、私流のリーダー説なんです。  汗の大切さを知っているのか。 生活困窮を味わったこともありますか?の一つありますか?。春の桜などは、厳寒の冬を知って花を咲かせることができます。

今も、心病めず、日々、汗を出し勉学に勤しむ老若男女のための真夜中の光燈台砦の ”夜間中学校が在るんだ。” 私も、昭和35年より4年間の定時制で勉学した。春夏秋冬の中での、人生味わいある年数である。安倍政権で、ようやく、光を当て、力強い後押しをしてくださり心がジーッとしました。

 

 

 

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 6:08 PM  Comments (0)

アイスコーヒー(冷コー)を頼んで¥350払う。

暑い、蒸している昼時、”8月用のTVCM 、あるパカふれんず”の収録撮りに、内の女房と連れ添って最近手に入れたPITAPA入りのカードをピターパと改札口に乗せて簡単に入札でき心地良さを感じて西院より阪急電車の準急に乗り、まず桂駅から特急を乗る予定だったが、なにか来た特急には立っていてる人が多かったようで、このままこの電車で、淡路まで行こうと決めた。出発まで待っていた。また、何かまた快速特急なるものが入ってきた。車内はガラガラですいているようだったので、これに乗ろうと席を立って行った。またこれは、新車であった”京とれいん”と銘打っている列車で、車内は、本当に贅沢な畳敷きのシートの上にほんわかなクッション、クラシックな車内である。振動、騒音静かだ。列車が行き交う時の窓に走る時の”どーん”という嫌な心響くことのないゆるやかに走る列車に乗った。随分前に、九州JRに出来た頃の”つばめ や さくら のような感をふつふつとさせてくれる。快い、そして特別料金の請求もなく淡路に着いた。

多くの時を費やしたCM撮りは終わった。かわいい子どもたちは立派な演出をした。本日は、一緒に二人撮影としての共にした不細工な、ぎりぎりに到着した男、すぐに額に脂汗を出す男、なんべんもNGを出してそのことで、同じことを私は伴につき合わされた こんな男との不遇なワンシーンがあった。今後は、一緒にカメラの前でも撮りたくない。と、心に思った。そんなことで、商店街の、あのおバーさん姉妹が、やっている喫茶店に行こうと思った。しばらくの2カ月ほどは、行かなかったからだ。長細い店内。初めてのレイコーを頼んむ。氷がコップの8割ぐらい入ってのものだった。すごく早く液体は無くなってしまった。飲んだ後は、本当にかち割りの氷りを頼んだようなものになった。多くの不満が出てきた。それで、勘定払う時に私は、明るく普通の声で、「おばちゃん、こんどきたとき、氷あんなにいらんしなーー」というた。

おばさんは、領収書を書きながら、、、えへへーえへへーとわらっていた。差し出す領収書を受け取り、ガラス戸を押し、蒸し暑い外気の中に身体を預けた。こんな時、京都の喫茶のおばさんはどんなふうにするの??やろか??。。。と女房との話となった。!!!。多分、ええ加減な理由事を並べて、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃと正当化した事を並べて言うのとと思う。今、ヒタヒタト、”京都暗黒街創り”をするかの如きの明色看板を消しゴムで消していくように{”古都”の重さ}という事

で、明るく育ちそうな色彩も何か、白、黒、茶色等のダーク色が今これが京都色――といわんばかりの神経重圧を感ずる。誰が言っているのか知らない、判らない。責任者不在で、楽しい明色の看板も消されていっている。京都市の世間感覚不毛的役所人の一ある人だけの決済で走っているように思えてならない。だから、入門代金のいる多くの寺社などからの逃避は、これからも増えていくだろう。神戸も大阪も近くで、海ありで学生たちにも心を開けてくれる。暗い雰囲気のところには、ある滅びが生まれるでしょう。人生80年であっても、あなただけの時ではない事をしっかりとやりましょうね!!>。

 

 

 

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 12:00 AM  Comments (0)
2024年4月
« 3月    
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930