すずめ 幼子の懸命の力ははかなく消える
すずめの親子が、なぜかよくチュン チュンと鳴くことがなんんとなく不思議にも長い。庭を見ると、おさないすずめが羽ばたきをしていても、ぴよんぴよんト動いている。屋根のどこかのある巣から落ちたのだろう?!。親も其の子を見て心配をして泣いてはいるのだろう。夕闇は迫ってもいた。
私は、そのまま置いていては、夜に為ると、何かに襲われ食われてはならんと思い、捕獲をして格子のある空気とうりの良い箱を見つけてその中に水と餌らしい物を備えた。私は、この様な小さな箱では、窮屈だなーと思い、もう少し大きな小鳥籠となるような物を見つけに、三〇〇〇〇〇キロを超走っている自家用で出かけた。私が出かける時は、元気で普通に動いてはいた。しかし、ある店で気のいったものを買っての帰りに、女房から携帯に電話が入った「はよ帰ってきて、動かんようになっている。」
帰ってみると、くちばしだけを開けたり、閉じたりして、容態はあの時のスズメ幼子ではなく、赤黒くぐったりとしている。私は、女房に出かける前に作らしておいた卵のにぬきの黄身をパクパクしている口にいれてやる。水も、努力はしたが動かなくなった。-なんと命のはかないものかー親スズメ、お母さん、お父さんは、心配そうにチュンチュンと来たと、女房は言っていた。
庭の片隅に土を掘り、白い布にくるんでやって、埋めてやった。其のそばに角石を立て、線香一本立て、手を合わせ、祈った。今、ここに住まして頂いている事での幼子すずめとの出会いが生まれ、そして、私のした行いは正しかったのか?思いは?総べては、 南無妙法蓮華経 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 。今日の一日の出来事は、二人にとっては又、人生での初めてでの””命””の一瞬のはかなく消えさる事を、幼すずめの”死”を直視の現実で知った。
総べての生きている物は、平等である。大学では命の平等は学ばず、教えない壇上の頭でっかちの教授が徘徊している。もちろん、私は、何時ものとうり、ポケットに乾パンを少し入れ歩きます。愛するすずめやハト達に、どこにあるかなーと食べ物をいつも探して飛びしているたちの為に。
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