悪癖と悪風の群衆 その1
ある 人は群れを作って集まり、何か自らの想いで、「ある外敵が存在しているので、ある時、襲われ、駄目になるのだ」、そのことから防止するために例えば、マルマル会とかに入って”只の安心感を持つ””という面を持っているのだ。そして、30歳代、40歳代、50歳代では、心悪い年上の輩の、口車に乗せられて、私は、彼ら、先生という職業のOB先生団を組んでいてのその中の構成メンバーで中小経営者の二人の一人でした。私は、同窓会の会場のお世話をしました。10人足らずのOB先生と民間中小企業の経営者私含めて2名での洛陽定時制の同窓会役員会。この、口先のうまい先生方によって私は、幹事という一兵卒をいただき、大事な人生の時間を費やした。御池の京都ホテルは私知人のおかげ、全日空は私知人のおかげ、京都タワーホテルは京都新聞の元社長白石様娘様のおかげなどで、今まで、5年に一回開催洛陽定時制同窓会の会場をいろいろな面で努力し先頭交渉してきました。我が母校の存続の危機を知ったときも、私は当時の市会議員をしていた四条中学の同期でもある友人の二の湯智君の四条中学の横にある事務所を訪れて、今の母校の定時制の現状を言った。彼は、「知らなかった、初めてだ。」と吐露した。そして、その後数日後、当時の、教育委員長の門川さんから電話をもらった、「二の湯市会議員から佐藤君の話を聞いてくれ」というような電話があり、「いつお会いさしてもらいましょうか?」というものであった。日時を指定して、後ほど、教育委員長室に伊藤、杉原と私で、予定時間をオーバーし、1時間程、門川氏と定時制存続を話する。市関係職員も横に3人ほどいた。が、その後廃校となり石碑の如くの記念が校舎の入り口に存在しているのだ。、、、。彼ら、先生達は、堀川どうりの北のほうにある教職員たちがよく使っている一応安いホテルがあることを知り、はれやかなホテルでの開催を止めた。この会の軍資金もなくなり不足的になっても来たのでもあったのだろう、その間は30年間面々と私には、会長職は機械科から、次は、電気科から、その次は、工業化学科からとのなかでのそれは、主に、要職は、彼ら、先生の中での進め方で押し通っていた。私もふがいがない!。今思うと、先生たちの縦と横の古い楔の結束は、“悪癖と悪風の群衆”だと知った。先生たちの本当の二元性を見定める感覚を、視。教えてもらう立場の生徒たちも、まず、“先生”という衣の下を診ることだ”。大きな人生航路をあの、韓国の船に乗った悲劇となるのだ。と、、、、、、、。
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