冷やかなお出迎えの”京都コンサートホール1階ロビー!!。

本当に、久しぶりに”マンドリン演奏を聴くに行こうと決めた。マンドリン演奏は妻の父(フィリピン戦地から多く戦死した日本人兵隊たちの中から二人と生きて帰ってきた強運の妻の父である。その後、マラリアを発熱したそうだ。そして、死ぬまで、家庭の中では戦争の戦地でのことは一度も、喋らなかったと妻は回顧した。私も、その優しい音色は好きである。今も、相変らず家庭のお茶の場に勝手に人一人の命を殺しているTV番組や、お涙頂戴の平和の中を毎日満喫しているのに、悲しい歌を歌っていたりのバカらしい歌手達から離れる心情を作るためもあり、まず、植物園にバラの咲きを鑑賞して1時半始まりでのマンドリンの為に、早いかなー?とは思ってはいたが12時半ごろに着いた。これは本当に、音楽ホール?冷やかな、冷たさのみしか感じえない、がらーっとしている。仕方なしにも想うような飾り毛もない場所である。奥のほうは床には四角な柄が一面描かれている。円柱のアルミか鉄製か?広い部屋に立っているだけだ。外人さんが疲れたのだろう、地べた座り二人していた。コンクリート壁にはプロの歌手達がワンボードの中に窮屈な感じで貼ってある。他府県から来たという多くのご婦人達も、この1階ロビー座る設備一つない”こんなとこ初めてですわ”とワーワーいうてる。私は、”””京都でのお客様のお出迎えは、暖かくほっこりとするような物なのです。”””と、門川市長達も、言っている。が、何かが、狂っていると思い、この会館の責任者と話をしたいと申し出た。しばらくして、山本ひとみ、事務局長と、改善、”長椅子を設置する”事を言う。、時代は、高齢者、身障者も増えた時代となった。頭をチェンジせんといかんと説いた。彼女は、””長椅子、ソファーなるものは、1階ロビーには不釣り合いだという。座りたかったら、1階の喫茶店に行ってください!”!という。しかしこの件については、彼女が出てくる前に、職員だという女性に聞いている「いままで、何年も前から多くの方から言われています」と、???>。なぜ、お客様の御困りごとを、真に心からの仕事をしないのか?。私は、頭にきて、四条中学同期の今年○○副大臣になった彼に、現状を直してほしいといった。「いうときます」であった。3階の会場前では、入り口は閉まり、椅子さえない。多くの観客は、約30分程、立たされている。私は,いまだに19年の脳溢血の後遺症もあり左全体足もしびれてはいるので、事務机と椅子が2脚在ったのでその1脚に座った。めざとく肥えたご婦人が「私、足が痛いんです!。それ座らしてくださいと、近寄り、座られた。シルバーの事務員が何の用事もないのに変な感じで成ったということになった。””弱者救済に団結しましょう!!。あなた自身を守るために!!。””。

!!!上記の事は、以下のように歴史はCHANGE しました。!!!。

😮 大変うれしい電話あった。京都コンサートホールの山本事務局長さんから、長い出張帰り、本日、ホールに身のお疲れの方用としての居座れる用度品椅子など見積もり取っています。と、またお体不自由な方を事務員目にわかれば、直ぐにも座れるように用意するように全職員に今、指示しました。ので、、、とのことだった。ーーーこのことは、弱者に対しても20年間もの放置されていた事の、一つは、人間不在感覚アリ。で、一人の私から、回りの情のある方によっての改革になったことで

成し得たのです。あたたかい京都やねーーー。またまた、来たいね――。と、ひと時のこの場所を楽しめる事、感動します。

 

 

Filed under: 在る出来事 — yoshihiro 6:58 PM  Comments (0)
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