こそこそ、わが身年寄り大事生活しか出来ん!!
毎朝、近所、山野、畑、田んぼの道脇、坂道をテクテクと歩く。脳内出血を、平成19年6月26日、午前11ごろに京都市の福祉会館、蚕ノ社付近にあるところでのハワイアンのグループで唄いウクレレを弾き終わってから、急に左側に雷のような電撃が走り、ゆっくりと沈む横たわる。先生や皆さんにも助けられ、救急車に運ばれ、車生活となり69日間病院生活。その後は、家でのリハビリ生活を余儀なくする。今も散歩を欠かせない生活だ。あれから早3年2ヶ月が過ぎようとしている今日。今日は、ゴミ収集日だ。京都市が売っている45リットルの黄色の袋を45円で買ったその袋に生ゴミなどを詰め込み出している年寄り男が居た。そのゴミ袋をその上にカラスにゴミのいたずらにあわないために網をかぶせようとはせず立ち去った。その側に四十くらいの女性と母らしい人が立ち話をしている。そして、女性二人は後部席で、年寄り男は家から車を出して運転をして、この暑さから逃げる如く、車内では、ペチャクチャとのおしゃべりとの様子で行ってしまう。その後にゴミ袋二つ持ってきた年寄り男が又、公道の側においた。これで3袋と成った。網を載せない。私は??思い、只、今言いたくなったこの年寄り男に!!。「ゴミの上に網をのせんと私もカラスに散らかされて、大変苦労し、大変でしたわ!」と、彼の側で立ち、言った。その年寄り男は、45リットルのゴミ袋の口を閉める途中であったが、座り込みながら下より細い目の形をしたその目で、ニラーッと私の顔を見る。何も言わず。私は普通この私の言葉を聴いたあとならば、「あっ そうですなー、その網おかなあきませんなー」とか何とかの声が軽く出て来そうでもなかった。この年寄り男もそこに放り置いて去った。今まで生きてきた年月日、何をしてきた人なんでしょうか???と思う。正義の無い人生、偽善の人生道を只、自らの子供や関係する人々の前でのみの時を過ごすことに、汲々して来たのだろうな。人生の終末に来て、、、、、、、、、、、、、、、。